湘南モノレールが開業した50年前の風景と今の風景を比較して楽しむ「湘南モノレール沿線 今昔写真撮影隊」の旅。最終回の今回は、湘南江の島駅周辺を歩きます。
目白山下駅と湘南江の島駅の間は、ほぼトンネル区間(片瀬山隧道:205m)です。トンネルを抜けた先は切り立った断崖で、崖の中腹を走る京急道路(現在は藤沢市道片瀬西鎌倉線)の上空をクロスして、モノレールは駅ビル5階にある湘南江の島駅ホームに吸い込まれていきます。
湘南江の島駅(昔)
湘南江の島駅(今)
なぜ、湘南モノレールの終点駅が、このような「空中駅」になったのかについては、「湘南モノレール全線開通までの全記録」エピソード#36、エピソード#37に書きました。
湘南モノレールの各駅で、開業時と現在とで最も大きな変貌を遂げたのは湘南江の島駅でしょう。湘南江の島駅の駅舎の今昔写真を掲載します。
湘南江の島駅舎(昔)。「囲碁センター」や「キリン生ビール」の看板が見えます。駅1階にビアホール、3階に囲碁センターが開設されたのは1972年6月です
湘南江の島駅舎(今)
湘南江の島駅舎(昔)
湘南江の島駅舎(今)
ちなみに、駅前の道路は、こんな感じでした。
湘南江の島駅前の県道(昔)
よく見ると、商店街のアーケードの中に「大黒屋」の看板が見えます。これは、今も同じ場所で営業している菓子店の「大黒屋」さんです。
「大黒屋」の向こうには、昔の横浜銀行のロゴマークも見えます。
上の写真をズームアップ
念のため、1973(昭和48)年の地図で位置関係を確認すると、「大黒屋菓子店」「横浜銀行片瀬支店」などが記載されています(地図中央付近)。
1973(昭和48)年の江の島駅周辺の地図(提供:明細地図社)
以上の情報から位置を特定し、「今」の写真を撮影するとこんな感じになります(すっかり日が暮れてしまいましたが......)
湘南江の島駅前の県道(今)
さて、江の島エリアの湘南モノレール関連施設で、もう1つ重要な「片瀬荘」についても触れておきましょう。
「片瀬荘」とは、明治の中頃、大蔵大臣等を歴任し、後に朝鮮総督在任中に逝去した曾禰荒助(そねあらすけ)の邸宅です。湘南モノレールは、この土地と建物を終点駅用地として、日立金属工業から購入しました。「湘南モノレール全線開通までの全記録」のエピソード#36参照
1968(昭和43)年の地図(提供:明細地図社)。「湘南モノレール片瀬事務所」が該当の土地
片瀬荘。台湾檜を輸入して造営した家屋や、数十本の松の大木をはじめとする樹木が繁茂する庭園などがあり、かなり価値の高いものでした
「東浜」バス停付近。門柱に「順天堂片瀬寮」とあります。「湘南モノレール片瀬事務所」の南側隣接地は1965(昭和40)年頃まで「順天堂片瀬寮」でした
右端に今もある江の島マンションが写っています。左端に写っている「シェル」のガソリンスタンドは、今の「江ノ島タクシー」営業所付近
しかし、この場所に駅を建設するには、江ノ電の江ノ島駅構内上空をモノレールが通過しなければならず、それについて江ノ電の反対を受けることになりました。結局、この場所に駅を建設することは断念せざるをえず、事務所として使用後、1971(昭和46)年9月に手放しました。その後、終点駅の場所は紆余曲折を経て、現在の湘南江の島駅の場所に落ち着きました。
現在、「片瀬荘」の跡地は、洲鼻南公園とマンションになっています。
「片瀬荘」の跡地は、洲鼻南公園とマンションになっている
さて、本連載の最後の1枚は、湘南モノレールの設立母体となった日本エアウェイ開発が、1962(昭和37)10月に免許申請を行った江の島島内と片瀬西浜(現・新江ノ島水族館付近)を結ぶ約770mのモノレール路線(江の島海上路線)の完成予想図です。
江の島海上路線の完成予想図
この路線は地元の反対で実現せず、その代わりに建設が検討されることになったのが、大船-湘南江の島間を結ぶ湘南モノレールでした。もし、江の島海上路線が実現していたならば、大船-湘南江の島間のモノレールが建設されることはなかったかもしれません。