富士見町駅を出ると、湘南モノレールで最も長い、約500mの直線区間が山崎の交差点まで続く。この付近で右側に見えるこんもりとした天神山の山頂には、京都の北野天満宮を勧請(かんじょう)したと伝わる北野神社がまつられている。また、天神山の西麓には、かつて「源頼朝の隠し湯」という温泉が湧き出ていて、温泉旅館(※)も営業していたという。
次いで40‰(パーミル)のこう配を上り、緩いS字カーブを抜けると右側の景色が開け、三菱電機の工場の建物群を見ながらさらに進むと、間もなく大船駅から約2kmに位置する開業時の中間駅、湘南町屋駅に到着する。
湘南町屋駅付近から山崎(富士見町駅方面)を望む
この駅は、先ほど目にした三菱電機鎌倉製作所(当時の従業員数約2,000名)や、野村不動産が造成していた梶原団地(約46万㎡)、大平山団地(約13万㎡)、丸山団地(約21万㎡)などのために設置された。モノレール開通前の1966年の地図を見ると、湘南町屋駅東側一帯は、所々にため池などが点在する丘陵地帯だったが、モノレールが開通した1970年の地図を見ると、大平山、丸山一帯に道路が付けられ、宅地造成が進んだ様子が分かる。
湘南町屋駅を過ぎると、右手にかつては町屋池という池があり、子どもたちの遊び場だったという。その後、池は埋め立てられ、現在は高齢者福祉施設(老健かまくら)になっている。
かつては子どもたちの遊び場だったという町屋池(提供:鎌倉市中央図書館)
その先は、半径200mのカーブを通って、74‰の直線下りこう配へと続いている。この坂の中腹には、鎌倉時代末の1333年に新田義貞が攻め寄せた際の激戦地、「洲崎古戦場跡」を示す石碑がある。
「洲崎古戦場跡」を示す石碑
坂を下りきると、大船駅から約2.7km地点の交換駅である湘南深沢駅のホームに滑り込む。開業当時は、この駅付近に国鉄大船工場(当時の従業員数約800名)と、その宿舎アパートなどがあったが、現在は広大な空き地になっており、今後、隣接する藤沢市の村岡地区とともに新しい街が開発される計画が立てられている。
※ 「鎌倉市中央図書館近代史資料室だより 第6号」によれば、「天神山温泉・山崎園」の開業は1910年。また、「かまくら子ども風土記」には、天神山の西すそに「第二次世界大戦前まで『山崎園』という温泉旅館が建っていました」との記述が見られる。