さて、ここまでは、湘南モノレール全線開通までの歴史をたどってきた。今回からは、開通当時の沿線風景はどのようなものだったのか、当時の写真を見ながら大船から江の島まで歩いてみたい。
国鉄大船駅前広場。右奥に湘南モノレール大船駅が見える(提供:鎌倉市中央図書館)
開通時の大船駅周辺の様子については、本連載の#33で紹介しているが、改めて簡単に説明すると、湘南モノレールの大船駅は国鉄大船駅東口から約65mの地点にある3階建てのビル(宇津路屋ビル)の一部に昇降用の階段を設け、このビルの2階と京浜急行バス乗り場の上空に設置した橋上駅舎とをつないでいた。
大船駅を出発したモノレールは、京急道路に沿って、すぐに曲線半径90m、続いて100mのS字曲線を通過する。モノレールを敷設するにあたって設計者たちは、乗り心地の観点から、この曲線を大幅に修正したかったようだが、湘南モノレールの建設計画発表以来、この付近の地価高騰は著しく、また、都市計画道路の予定線などにも拘束され、用地買収がままならず、結局、S字の急カーブが残ることになった。
大船駅ー富士見町駅間のS字カーブ。開業当時はこの位置から大船観音が見えた
さて、S字カーブを抜けた先には、横須賀線との跨線橋による立体交差がある。この横須賀線との立体交差工事が、深夜から早朝にかけて、横須賀線の終電から始発までの3時間で終えなければならない難工事であったことは、本連載の#24に記した。
横須賀線を越えた先で、路線で唯一の大きなアーチ型の支柱をくぐる。これは当時、鎌倉市から「将来、都市計画道路(幅12m)が通るので、それに支障がないように支柱を置いてもらいたい」という要望を受けてつくられたものである。
富士見町駅付近で進められるモノレール建設工事
アーチの先で上空を国鉄の高圧線が横切っており、さらに少し先で、国鉄大船工場引込線をクロスすると、大船駅から約930m地点に位置する最初の交換(すれ違い)駅である富士見町駅に到着する。
富士見町駅は、当初は「山崎」という駅名の予定だったが、開業直前の1970年2月23日に陸運局に駅名変更申請をしている。京急バスの「山崎」バス停よりも、「富士見町」バス停が近かったのが変更の理由である。この付近には、もともと富士見町という地名はなく、次の湘南町屋駅の付近に、江戸時代の富士講の人たちが築いた富士塚(富士山に見立てた塚)にちなむ「富士塚」という地名(「山崎」の小字)があるが、これとの関連性はよく分からない。
富士見町駅の変則的な昇降用階段(2020年12月撮影)
なお、富士見町駅の昇降用の階段は、地主との交渉が難航し、ホーム端から市道を渡る跨道橋で結んだ電気室(変電設備)の屋上を利用するという変則的なものになった。この階段は最近まで使われていたが、2019年3月に駅下りホームのバリアフリー化工事が完了し、新駅舎が供用開始されたことで、現在は閉鎖されている。