湘南モノレール開業(大船駅―西鎌倉駅)時の大船駅とその付近は、どのような様子だったのだろうか。まず、1970年の大船駅周辺の地図を見てみると、現在、ルミネウィングのビルが建っている辺りからロータリーにかけては、小さな建物がひしめき合っていた。国鉄の線路沿いには木造平屋建ての国鉄官舎が建ち並んでいて、その横を走る京急道路との用地境にモノレールの支柱が立てられた。
大船駅周辺を俯瞰
京急道路と、さらにその東側に平行して走る県道との間には、川の中州のように小さな商店が並んでいて、駅に近いほうから本屋、ラーメン屋、理容室、甘味処、履き物屋、果物屋などがあり、その先の鎌倉信用金庫と玩具店の間の3階建てのビル(宇津路屋ビル)に、モノレール乗り場の階段があった。
開業時は国鉄大船駅とモノレール大船駅の間に連絡通路(連絡橋)はまだなく、国鉄からモノレールに乗り換えるには、車も行き交う狭い商店街を65mほど歩き、宇津路屋ビルの2階へ階段(20段)を昇り、さらにホームまでをつなぐ階段(13段)を昇って、ようやくモノレール乗り場にたどり着くことができたのである。
開業前日に開かれた「発車式」「開通記念式」を取材した雑誌記者が、国鉄大船駅から湘南モノレールへの乗り換えの様子を次のように描写している。(『電気車の科学』(電気車研究会編)1970年4月号より引用)
大船駅へ下車のトタン、それと判る標示はあるものとの予期に反し矢印一つない。(中略)一旦駅前広場から自動車交通はげしい街路へ出て右折十数メートル、民家の中にようやく「湘南モノレール大船駅」のタテ看板を見出すのである。それだけ、国電への通路も悪いということで、遊覧客はもちろん、通勤客を吸収しようとするサービスは万点とは申しがたい。
こうして湘南モノレールの第一印象は余り"いただけなかった"が、さて橋上駅までの階段がなんと30段、アッという間に改札口に入れる有難さは、さすが会社の宣伝するサフェージュ式の自慢の一つだけあって、連絡の不便さをある程度"帳消し"?したともいえる。
いかにもピーアール不足だった様子がうかがえるが、ここで興味深いのは、地上からホームまでの30段の階段(正確には33段)を、記者が「ありがたい」と感じており、また、湘南モノレールもこれを宣伝材料にしていたことだ。
交通機関を道路上に架設する場合、道路構造令(道路法に基づく政令)により、路面から軌道構造物の最下面までの高さは4.5m以上なければならないと決められているが、懸垂型モノレールは軌道桁が車両の上にある分、跨座型モノレールや一般の高架鉄道に比べて、地上からホームまでの高さを低い位置にできるというのが、売り文句の1つだったのである。もちろん、それはこの時代の基準による話で、のちにはバリアフリー化が大きな問題になる。