ところで、湘南モノレールの建設工事は、地元の商店街の人々の目にはどのように映っていたのだろうか。大船駅周辺のモノレール用地買収の様子について、大船で丸安輪業を営んでいた佐々木泰三氏の著書『水の出る街、大船』(かまくら三窓社)には、地元商店主の視点で、以下のように記述されている。
当時、最終案といわれた第五次駅前整備案が出てから、まず最初に私たちの前に立ちはだかった障害は、湘南モノレールの敷設計画との調整であった。そのときは、第五次案もまだ協議会の決定を受けたばかりで、建設省等の認可を受けていなかった。そこで、湘南モノレール側は、こうした曖昧な整備計画によってその敷設計画を変更することを嫌った。そして敷設路線を当初の計画通りに引こうと、橋脚部分の土地の買収に入ろうとした。
私たちは、はじめはこのモノレールの敷設計画についての詳細を知らずにいたが、土地の買収の打診を受けた住民の知らせによって、ことの次第を知ったわけである。それによると、駅前整備案の南端の拡張する予定の道路内にこのモノレールの橋脚(筆者注:支柱のこと)が立つことになり、それが実行されるとモノレールの橋脚はかなりの太さがあるので、駅前整備計画に支障が生ずることがわかった。湘南モノレール側に問い合わせてみると、計画を変更するつもりはいまのところはないとのことである。
私たちはあわてた。そして協議会にも連絡を取って協議し、とりあえず橋脚設置点の土地の所有者と交渉し、その土地の所有権を委任してもらい、橋脚の整備計画予定道路内の設置を阻止することにした。この話は、その後いく度か湘南モノレール側と話をし、最終的には拡張道路内には設置しないように計画を変更してもらうことで決着したが、こういった類の障害はことの大小は別として、その後もいくつか発生した。
大船駅東口の現在はバスロータリーになっている付近。この辺りの用地買収は困難を極めた
これだけを読むと、モノレールの用地買収がずいぶんと強引に進められたような印象を受けるが、村岡氏(湘南モノレール専務・建設本部長)の手記『湘南モノレール設営の記録』に記されているところを見ると、また違った印象を受けるので、こちらも記しておく。
この(支柱の)問題のため私自身関係者の安田町内会長(当時)、三谷県議等とたびたび会合し、夏の暑い日盛りに神奈川県庁に担当の計画課長斉藤氏の部屋で三谷氏と三人長時間の会談を繰返し、(中略)以来これらの人々とも親密に話ができることになった。あげくのはて、三谷県議の手引きで一九七一年春、大船ライオンズ・クラブの結成に当り、私は会長にひっぱり出されるというようなことにまでなったのである。