なお、前述した通り、湘南モノレールの地方鉄道業免許が下りたのは1965年10月29日だった。地方鉄道法(当時)13条には、免許取得後は、必要な書類および図面を提出して工事施工の認可を受けるべしとある。
地方鉄道法第13条、14条
(旧字体、旧仮名遣いは筆者が新字体、新仮名遣いに変換)
第十三条 免許を受けたる者は左の書類及図面を監督官庁に提出し工事施工の認可を受くべし
一 線路実測図
二 工事方法書
三 建設費予算書
四 免許を受けたる者が会社の発起人なるときは定款及会社の設立登記謄本
工事施工の認可には工事の着手及竣工の期限を付す
第十四条 地方鉄道業者は天災事変その他やむことを得ざる事由ある場合に限り第十二条第二項又は前条第二項の規定によりて付せられたる期限の伸長を申請することを得
湘南モノレールの免許状には、工事施工認可申請の期限は、免許交付日から1年後の「昭和41(1966)年10月28日」とあったが、路線両端の大船と片瀬エリアでは用地取得の難航が予想され、この期限内に全線の認可を受けるのは、不可能に思われた。
そこで、地方鉄道法14条に基づいて「期限の伸長を申請する」こととし、全線をいくつかの区間に分割し、用地問題解決の目処が立った区間から、順次、工事施工認可を受ける分割・延伸方式を取ることにした。
具体的には、下表のように路線を3分割し、用地確保や工事内容が比較的容易だった深沢-町屋間の第1期線から、順次、申請を行った。
工事施工認可申請・認可日
区間 | 申請日 | 認可日 | |
第1期線 | 深沢-町屋 | 1967年6月12日 | 1968年5月30日 |
第2期線 | 大船-町屋、 深沢-鎌倉山変電所 |
1968年5月8日 | 1968年12月27日 |
第3期線 | 鎌倉山変電所-片瀬 | 1968年8月17日 | 申請取下 |
ところが、終点の片瀬エリアは、後述する江ノ電交差問題を始め、用地問題が当初の予想以上に難航し、解決の目処がなかなか立たなかった。そこで、西鎌倉までの部分開業を急ぐために、第3期線をさらに鎌倉山変電所-目白山下(第3期線)と目白山下-片瀬(第4期線)に分割し、新たな第3期線(鎌倉山変電所-目白山下)について、1969年6月4日に申請し直した。
工事施工認可再申請・認可日(当初の第3期線を分割再申請)
区間 | 申請日 | 認可日 | |
第3期線 | 鎌倉山変電所- 目白山下 |
1969年6月4日 | 1969年10月7日 |
第4期線 | 目白山下-片瀬 | 1969年12月8日 | 1970年8月29日 |
大阪万博モノレール(提供:一般社団法人日本モノレール協会)
大船駅―西鎌倉駅までの部分開業を急いだのには、当面の運賃収入確保のほか、次の理由があった。1970年3月15日に開幕する大阪万博では、会場内輸送機関として最新式の跨座型モノレール(日本跨座式)が運行される予定になっており、海外からも訪れる多くの来場者に「モノレールは跨座型」という強い印象を与えたまま帰すことなく、懸垂型モノレールの存在もアピールするために、万博開幕までに全線開通は無理でも、部分開通はさせたいとの強い思いがあったのである。