大石寺モノレール問題に続いて発生したのが金融問題、すなわち建設資金の調達問題だった。湘南モノレールのおおまかな資金計画としては、営業開始に至るまでの当座の間は、払込資本金を中心に賄い、不足分を銀行融資で調達する予定であった。しかし、折り悪く、当時は先行開業していた東京モノレール羽田線が極度の営業不振に陥っていた時期だったのである。
開業直後の東京モノレール(提供:東京モノレール株式会社)
具体的には、東京モノレールは建設費が当初予定を大幅に超過したことにより、浜松町―羽田の運賃を250円という高額(当時の都心―羽田への競合輸送機関であるタクシー利用は高速道路経由で680円。国電と京急バス利用が55円)に設定したことから利用が伸び悩み、1967年度頭初の同社の債務の状態は下表の通りとなった。
短期銀行借入金 | 64億円 |
建設費未払額(日立製作所) | 135億6,900万円 |
出典元:日立運輸東京モノレール社史
運賃値下げや人件費削減等、経営改善策はそれなりの効果を上げてはいたものの、この莫大な債務を支払える見込みはなく、再建策として、各銀行とも借入金の金利棚上げを受け入れざるをえないような状況だったのである。(※)
このことによって、モノレールというものの事業の採算性について金融機関の間に懐疑的な見方が広がっており、湘南モノレールのメインバンクとなるはずの三菱銀行すらも、モノレール建設資金の融資に消極姿勢を見せていた。
※ 東京モノレールは、その後、日立製作所の積極関与による日立系運輸会社2社との合併を経て、平行する首都高の混雑や、航空需要の伸びなどにも助けられ、経営の改善が図られた。