上野懸垂線は、ヴッパータールのランゲン式をモデルとしつつ、騒音低減の観点からゴムタイヤを採用するなどの改良を加えたもので、一般に上野式と呼ばれる。この上野式は、都交通局のほか、日本車輛、東京芝浦電気(現・東芝)が技術開発にあたった国産技術に基づくモノレールだったが、その後、日本の各メーカーは海外のモノレール先進企業と技術提携することにより、モノレールの技術導入と開発を図るようになる。
日立製作所はコンクリートの桁上をゴムタイヤで走る西ドイツのアルヴェーグ(ALWEG)式(※1)を導入し、川崎航空機(現・川崎重工業)は鋼鉄レール上を鋼鉄の車輪で走るロッキード式(アメリカの大手航空機メーカー、ロッキード社が開発)を導入した。いずれもレールの上を車体が跨ぐ形式の跨座(こざ)型モノレールである。跨座型にはこのほか、アルヴェーグ式をベースに、車体と台車を完全に分離したボギー連接台車構造にするなど、独自の改良を加えた東芝式もある。
一方、フランスのサフェージュ社(※2)が開発したサフェージュ式懸垂型(レールからぶら下がる形式)モノレールの技術を導入したのは、三菱重工業、三菱電機、三菱商事の三菱3社を中心に、国内の有力企業10社(※3)が出資し、1961年3月に設立された日本エアウェイ開発(以下、日本エアウェイ)だった。この日本エアウェイが、後に湘南モノレールの設立母体となる。
日本エアウェイ設立総会で挨拶中の長崎惣之助氏
日本エアウェイの初代社長には、元国鉄総裁の長崎惣之助(そうのすけ)氏、相談役に自民党幹事長(のちに首相)の福田赳夫(たけお)氏、元国鉄技師長(のちに総裁)の藤井松太郎氏、顧問に佐藤栄作氏(後に首相)、元国鉄副総裁の小倉俊夫氏など、錚々(そうそう)たる面々が迎えられた。
このサフェージュ式モノレールは、ヴッパータール空中鉄道や上野モノレールと同じ懸垂型モノレールだが、パリ地下鉄で実用化したゴムタイヤ車両の応用と、フランス国鉄が研究試作した振子車両の理論をもとに、ミシュラン、ルノーなどフランスを代表する企業の協力の下、当時のフランスの技術の粋を集めて開発された新方式だった。
ゴムタイヤを採用したボギー台車をケーソン型(箱型)の軌道桁内に納めているため、走行面が雨や雪から保護されスリップしづらく、騒音も低減される。また、横風や遠心力による左右横揺に対しダンパー(緩衝器)を付けた特殊な懸垂リンク(懸垂腕)で車体を懸垂しているため、カーブでの乗り心地も良い。
※1 アルヴェーグ(ALWEG)とは、スウェーデン出身の実業家であるAxel Lennart Wenner-Gren(アクセル・レンナルト・ヴェナー=グレン)博士の頭文字を取ったものであり、会社名でもある。
※2 サフェージュ(Safège)は、ミシュランやルノーなど25社のコンソーシアムによって設立された技術研究・開発を目的とする会社であり、その商標名である。Société Anonyme Française d'Étude de Gestion et d'Entreprises(「フランス経営研究会社」の意)の頭文字を取っている。
※3 日本エアウェイの設立には、三菱3社および、富士製鐵、汽車製造、日本鋼管、東京芝浦電気、東急車輌、東洋電機、八幡製鐵の10社が参加した。