では、日本のモノレール第1号は、いつ誕生したのだろうか。
我が国でも、戦前から単軌鉄道・懸垂鉄道といった名称でモノレールの存在は知られており、各地で敷設免許の申請が行われ、中には地方鉄道法に基づき免許が与えられた例もあった。
1928(昭和3)年7月3日付で、江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)に対し、片瀬―江ノ島間0.89kmの懸垂鉄道敷設免許が交付されており、これがモノレールとしては戦前における唯一の地方鉄道法による免許例となった。1928年7月4日付の東京日々新聞神奈川版に、次の記事がある。(旧字体、旧仮名遣いは筆者が新字体、新仮名遣いに変換)
片瀬から江ノ島へ
珍、懸垂電車
これなら風浪平気―江の島電鉄に認可される
弁天様で名高い江の島の桟橋はよく風浪のため破損するので頭を痛めていた江の島電鉄会社では陸から島へ日本では珍しい懸垂電車を架設しようという計画のもとに出願していたが三日付で鉄道省から認可された。建設費四十万円、鎌倉郡川口村片瀬から江の島までの四十四チェーンを軌幅三フィート六インチの懸垂電車を走らすというのである
この免許は、間もなく、別会社を興して事業を進めるほうが有利であるとの理由から、新たに設立された江ノ島懸垂電気鉄道㈱に譲渡された。しかし、地元漁業組合の反対や、江の島を国の名勝・史蹟に指定する動き等がある中で、建設に至らないまま、1935年9月12日付で鉄道起業廃止(敷設を断念)された。
また、ほぼ同じ時期に、地方鉄道法によらない遊戯施設扱いではあるが、懸垂型モノレールらしきものが実際に建設され、短期間ながら運行された例もあった。1928年に大阪市の天王寺公園で開催された「大礼奉祝交通電気博覧会」の各会場間を結ぶ目的で敷設された「空中電車(懸垂飛行鉄道)」がそれであり、1928年11月29日付の大阪朝日新聞が写真入りで報じている。この空中電車は、わずか5日間のみ運行され、博覧会閉幕とともに撤去されるという、まさに幻のような運命をたどったモノレールだった。
大阪電気博の「空中電車」(大阪朝日新聞 国立国会図書館所蔵)
博覧会残務事務所が編纂した『交通電気博覧会誌』によれば、「懸垂飛行鉄道はその名の示すがごとく、地上約百尺の高さに連繋せる軌条に車体を懸垂し、車体内にガスエンヂンを装置し自力を以て運行するもの」であったという。