いよいよ本格的な闇歩きだ。保全活動に感謝しつつ、鎌倉広町緑地の素晴らしい闇を、懐中電灯は一応用意しつつもそれに頼らずに慎重に歩いていく(闇歩きに慣れた人と一緒でなければ、原則、細い山道に入るべきではない)。昨年の7月上旬に初めて下見したときは、ハンゲショウの葉が白い花のよう闇に浮かび、ゲンジボタルのシーズンは終わっていたが、ヘイケボタルの幽き光がたくさん明滅していた。
今夜はゴーッという海鳴りがよく聞こえる。闇の中では聴覚が研ぎ澄まされるものの、海辺からそこそこ距離のあるこの緑地で、海の音を意識したのは初めてだ。さっきまで春一番が吹き荒れていた。海にはまだその名残があるのだろう。
木道からの眺めは、至近に街があるとは思えない、奥行きの深い闇景色で、しばし立ち止まって、そのどこまでもモノトーンの世界に見惚れた。フクロウらしき大きな鳥の影が、音もなく梢の上を飛んでいく。
谷の奥から尾根に登ると、おお! 七里ガ浜浄化センターの大煙突のシルエットが、間近に現れる。キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』のモノリスみたいな異物が、地中から天を目指して、ぬーっと果てしなく伸びていくような、不思議な景色だ。夜でなければこんなふうには見えない。
もうだいぶ満足したが、ミッドナイトハイクはまだまだド序盤。鎌倉山の住宅地に出て桜並木を抜け、鎌倉山神社の先で木の電柱を2本見送ると、再び闇の山道になる。陣鐘山への道だ。
深夜だから静かに歩かなくてはいけない。街と自然がひしめき合う鎌倉では、山の中を歩いていても、すぐそこに家があったりする。騒いで住民に迷惑をかけて、夜間通行禁止にでもなったら最悪だ。そんな息苦しい街にしないためにも、躙り口から茶室に入るような心持ちで闇に入る。
まわりに気を遣って静かに歩かなくてはいけないというのはしかし、かえっていい。黙っていても気まずくないから初対面の人と歩いても気が楽で、大勢でひとり旅をしているような感じ。ひとりひとりがじっくり闇に浸れる。それでいて、大勢だから安心して歩ける。女性の単独ナイトハイクは危険だが、こういうツアーなら、ホントはひとりで静かに闇を歩きたい女性が気楽に参加できる。実際、参加者には女性が多い。
その一方で、暗くて互いの顔がよく見えないから、相手の微妙な反応を意識せずに気軽に言葉を交わすことができる。だから、闇の中で初対面同士で結構話が弾んだりもする。
陣鐘山への道は、さっきの緑地よりさらに暗いので、5~10mおきにライトを一瞬点けて、行く手を確認しながら歩く。そうすれば、暗闇に目が慣れたままの状態で、闇に親しみながら歩ける。ライトをオンオフしながら移動していく光景が、ハタから見ると蛍の明滅のようなので、これを「蛍歩き」と呼んでいる。
ちなみにライトは、掌にすっぽり収まるような、小さくて明るくないものがいい。懐中電灯というより、掌中電灯だ。ヘッドランプは小まめなオンオフの切り替えに向かないので使わない。
七里ヶ浜方面から尾根を渡るやさしい風が心地いい。さっきまでの強風とは大違いだ。風は強いと最悪に嫌なものだが、弱いと最高に心地いい。
陣鐘山でフクロウの声に耳を澄ませて月影地蔵堂へ下ると、極楽寺駅が近い。フクロウの声は、夜の闇をますます深く豊かにする。鎌倉を闇歩きするとほぼいつも、フクロウの声を聴く。フクロウはネズミ、モグラなどのほかにリスも捕食するから、タイワンリスだらけの鎌倉は食い物に困らない。フクロウにとってパラダイスなのだろう。
明治時代につくられた江ノ電のトンネル「極楽洞」の坑門が、赤信号の光を鈍く浴びて、トンネルの闇が目立っている。極楽寺坂切通しを抜けるといよいよ古都鎌倉だ。
深夜に歩いていて気持ちいいのは、人も車もほとんど通らないこと。逆に、ふだん、人や車にものすごく神経を使って歩いているのだなあと思い知る。この切通しも、この時間は車も人もほとんど通らない。あの、歩道も車道も混みまくる鎌倉が、ガッラガラのスッキスキ。独占できてしまう。
切通しのあたりには、まるで監禁されているような日限地蔵や、地中から生えてきたような旧型の郵便ポストをはじめ、見どころが多い。昼でも井戸の中に星が見えたという、伝説の「星月夜の井」の闇もある。井戸端の石碑は、「星月夜の井」は「星の井」ともいうと記しつつ、上に「星月井」と大書している。その統一感のなさが好きだ。今は井戸に蓋をしていて、闇を覗き込めないのが残念。たまに井戸を開帳してくれると嬉しい。