湘南モノレール大船駅の隣駅は、富士見町駅だ。
富士見町、または富士見という地名は、関東地方を中心に、日本全国さまざまな場所に存在している。もちろん、その由来は「富士山が見えるから」という由来であるのがほとんどだ。
今回は、この富士見町について、探ってみた。
富士見町はどこに?
いきなりだが、富士見町という住所は存在しない。富士見町駅のある場所は鎌倉市台(だい)であり、富士見町ではない。
富士見町駅は、鎌倉市台二丁目と三丁目の境目に存在している。
このあたりは台という住所である
富士見町駅周辺には、昭和から平成あたりにたてられたと思しき一軒家や、アパートなどが立ち並んでいる。
駅から、柏尾川の方へ向かって歩くと、途中に鉄道作に囲われた細長い空き地が現れる。
廃線跡
これは、横須賀線から深沢にあった東日本旅客鉄道大船工場まで伸びていた引き込み線跡だ。2006年に閉鎖されたあと、線路は撤去されたが、跡地や砂利などはそのままとなっている。
この線路跡を越え、柏尾川の方へさらに住宅地を進むと、富士見という文字がちらほら見えてくる。
富士見の名称がすこしだけ使われている
富士見町内会の掲示板
引き込み線の廃線跡から東海道線の線路の間の住宅地に「富士見町」という町内会があり、富士見町というバス停も存在している。
江ノ電バスの富士見町バス停
富士山が見えるはずだが、建物が邪魔になってよく見えない
住宅地の中からは、富士山は見えなかったものの、このあたりから富士山が見えないわけはなく、見通しのよいところに出れば富士山は見えるはずだ。
富士見町の地名の由来は、もちろん「富士山が見えるから」であることには間違いないだろう。
由来に関してはそれでよいとして、富士見町という地名は、いったいいつ頃から使われ始めたのだろうか。
古い地図をみても、富士見という地名はいっさいでてこず、湘南モノレールの富士見町駅が1970年に開業してからは、駅名として地図には記載されているものの、住所として使われているわけではない。
この地名は、地域の中でどういった位置付けの地名なのだろうか。
町内会の名称について、富士見町内会会長の中山さんにお話を伺った。
富士見町内会会長の中山さん
――富士見町内会の富士見町という名称についてなんですが、これはいつ頃から使われ始めたものなのでしょうか?
中山さん「私もよくわからないんです。でも、富士見町内会の会長は、私で12代目ですが、ひとりで5年ほどと考えると、初代会長の服部亥之松氏のころが60年ほどまえ、1950年代ごろでしょうか。その頃からは確実に富士見町という名称は使っていますね」
富士見町内会歴代会長
――富士見町という名称になった経緯というのはわかりますか?
中山さん「いやもうこれはまったくわからないですね......おそらく、富士山が見えるから富士見町ということなんでしょうけれど」
――富士山は見えますか?
中山さん「見えますよ、見通しのいい道路で、天気のいい日は富士山はきれいに見えますね、モノレールの駅からは、富士見町よりも隣の湘南町屋駅の方がよく見えますね」
これはたしかにそのとおりで、富士山は富士見町駅よりも、湘南町屋駅のホームからのほうがよく見える。
湘南町屋駅からみた富士山
――富士見町の地名に戻りますが、昔の地図をみますと、富士見町という地名はまったく登場してなくて、1970年(昭和45年)にモノレールの駅名として突如登場するんですね。おそらく、町内会の名称としてはそれより前からあったと思うんですが。
中山さん「このあたりは、1960年ごろより前は、住宅がまったくなくて、1960年代に『昭和の鎌倉攻め』といって、宅地の造成が急ピッチに進んだんです。おそらく町内会もそのころにできて、名称をつける際に富士見町を名乗ったんでしょうね、推測ですが」
戦後すぐぐらいの地図を見ると、たしかに工場以外は農地しかなく、住宅はほぼない。しかし、1960年代以降、急に宅地がびっしりと立ち並ぶようになっている。
1940年〜50年ごろの地図
1950年〜60年ごろの地図
宅地の増え方がすごい。エグいといってもいいかもしれない。1940年ごろには、横須賀線沿いの道路に沿って集中していた住宅だが、1960年ごろになると、農地だったところにも建物がびっしりと広がりはじめている。
しかしながら、それでも富士見町という地名は見当たらず、その代わりに「戸部」という地名が大きく書いてある。
富士見町が地図上に現れるのは、湘南モノレールの富士見町駅が開業した1970年以降の地図に駅名としてやっと登場する。
1970年ごろの地図
その頃、戸部という地名は消え、住居表示(※地名を整理する事業)で台二丁目となっている。
『鎌倉市字別地図』という、鎌倉市の字(あざ)名を記した資料をみると、大字(おおあざ)台の下に、字として戸部が存在し、富士見町という字は見えない。
「鎌倉市字別地図」より
小名(小字)として富士見町という地名があると記された資料(石井博『玉縄歴史研究第15輯 歴史の謎を解く 郷土史と地名』)もあるが、その富士見町が、いつ、どのようにして命名されたのかはわからない。
さらに、中山さんの話によると、湘南モノレールの富士見町駅は、富士見町内会の中に存在はせず、隣の戸ヶ崎町内会のエリアにあるという。その理由はもちろん、わからない。
調べるほどなぞが深まる「富士見町」
こんかい、富士見町について調べてわかったことを時系列で整理してみたい。
- (おそらく)明治頃までは「戸部」と呼ばれた地域の農地であった。
- 戦後『昭和の鎌倉攻め』という宅地開発が行われ、人がたくさん住むようになった。
- 1950年〜60年頃に、町内会が組織され「富士見町」と名付けられた。
- 1967年4月20日、戸部という地名は、住居表示によって消え、富士見町のある場所の住所は鎌倉市台二丁目となった。(鎌倉市ウェブサイト「鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況」)
- 1970年、湘南モノレールの駅が開業し、富士見町駅と命名された。
複数の地名が入り組んでおり、すこしわかりにくいかもしれないが、富士見町という地名は、町内会が名乗ったのが、やはり最初ではないだろうか。
明治頃から、この地を「富士見町」と呼んでいた......という資料が出てくれば、また話は別になってくるのだが。
いずれにせよ、富士見町という地名については、その由来はわかりやすいものの、なぜその地名がそこについたのか、を調べると、資料が非常にすくなく、まさに雲をつかむような話で、わからないことがどんどん増えてくるというやっかいなものであった。
ただ、富士見町は、町内会や駅名としてかろうじて残っているため、ぼくのような物好きが、たまにその由来を知ろうとするので、まだよいのだが、資料も残らず、人知れず忘れられ、消えていった小さな地名は、日本中にもっとたくさんあるのだろう。
そんな地名たちに思いを馳せつつ、富士見町についてはひとまず、ここで区切りとしたい。