古民家「腰越珈琲」のコーヒーとカレーには
愛が溢れている
住宅街の細い路地を入ったところに、大正時代の木造家屋を喫茶店に活用した腰越珈琲がある。築90年。店主の米田順二さんが2015年にカフェを開くまでは、大学のヨット部が合宿所として使っていたそうだ。
「急激な変化の少ない、ノスタルジックな町」である腰越を普段着で歩く気分のまま、すっと入ってこられるように、古びた外観はほぼ変えていないという。
平日の午後の店内は、人間たちでほぼ満席、プラス小型犬2匹。されどゆったりした空気感が漂っているのは、ひとつには古い家の間取りをそのまま活かし、各部屋を個室のように使っているためだ。
それから、米田さんが(おそらくてんてこ舞い状態にもかかわらず)穏やかな笑顔で応対していること。お客さまのほうも、キッチンでひとつひとつの料理が手作りされているのを心得ているのだろう、急かすふうもなく悠然と構えている。
私は小さな畳の部屋に通された。いただいたのはスパイスからじっくり仕込むカレーと、一杯ずつドリップするコーヒー。みんなが大好きなおいしさだ。
しばらくして、ようやく手があいた米田さんにお話をうかがうことができた。日本で多忙な会社員生活を送った後、サイパンに移住してホテルやレストランで飲食業に携わること約10年。帰国して腰越珈琲をオープン。5年目のいま、どんなことを考えていらっしゃいますか?
「僕はカウンターの中から見える景色に魅せられた人間です。カウンターの中に自分の居場所があって、そこからお客さまが食事をしている景色が見える。それはとても心地いい景色なんです」
喫茶店主として本当に仕事を楽しんでいるので、心身共に疲れないようになったのだという。お店を休むほうが逆に疲れてしまう、と米田さんは笑う。
お客さまにゆっくり過ごしてもらうために、コーヒーはおかわり自由。しかもサーバーに保温しておくのではなく、そのつど新鮮なコーヒーを淹れてサーヴィスする。
「一杯ずつ淹れたほうがおいしいし、これはお店からの『のんびりしてくださっていいですよ』というメッセージなんです」
そんな姿勢が人から人へと口づてに伝わり、今では多くの支持を得ているのだが、開業して最初の2年間は「なるべく認知されないように、看板も出さずに」、メディアの取材依頼も断っていたのだという。
「ときどき妻が手伝ってくれますが、基本的に一人でやっているので満席になると手が回らなくなってしまうんです。1年目はオペレーションやメニューをブラッシュアップしながら徐行運転していました。ショップカードも置かなかったんですが、お客さま一人ひとりにしっかり向き合って満足して帰っていただかなければ、店名も覚えてもらえないし、人に伝えていただけない。そう自分を戒めていました」
その結果、腰越珈琲の存在は人から人へと理想的なかたちで伝わっていった。そして3年目からは少しずつ取材を受けるようになった。あせることなく、着実にお店としての実力をつけていった(まるでカレーをじっくり煮込むみたいに)成果が、この居心地のいい空気に表れているのだろう。
米田さんが体調を崩して珍しく3日間休んだとき、何人かのお客さまに「この喫茶店がなくなったら困るから、しっかり休んで」とお願いされたそうだ。
「お店が誰かに必要とされるようになってきたことを実感して、嬉しかったですね」
腰越の地元民の生活必需品のような喫茶店は、散歩者にも、遠来の客にももちろん優しい。この町のリズムに合わせて太陽が1ミリずつ空を移動していき、影がしだいに長く伸びていくのを眺めていると、なんだかこの町でずっと暮らしてきたような気持ちになる。
腰越珈琲(こしごえコーヒー)
神奈川県鎌倉市腰越2-12-10
TEL 090-1673-2515
不定休
http://caferemington.blog90.fc2.com