暗渠マニアックス 髙山英男
■湘南モノレール×暗渠 連載にあたって
暗渠。コトバくらいはお聞きになったことがあるかもしれない。だがその意味を知っていたり、ましてやそれが大好きになったりしてる人は、まだ少ないかもしれない。我々暗渠マニアックス、吉村生・髙山英男の二人は、暗渠が大好きすぎて、その魅力を一人でも多くの人にお伝えしたいと日々活動している暗渠マニアである。
そんな私たちから見て、ここ湘南モノレール沿線は宝の山、なのだ。これから5回にわたって、この沿線がいかに暗渠的におもしろいかをご紹介させていただく。
■「暗渠」とは、水の魂が残る川
いきなり本題に入る前にまずは「暗渠とは何なのか」、からご説明しよう。
昔から、人の営みあるところには必ず水があったはず。自然河川や湧水、所によっては排水路や用水路などもあったろう。しかしそれらの多くは近代以降の街づくりに伴って消されていった。
そんな、都市化のあだ花とも言えるかつての川跡・水路跡をここでは暗渠と呼ぶ。正確には「地下に流れを移した川や水路」を暗渠というのだが、水がなくなっても魂が残っていると考えて、少々拡大解釈をさせていただくことにする。
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【図1】広義でとらえ、地下に水が流れていなくても川や水路の跡ぜんぶを「暗渠」と呼ぶことにする。
ちなみに暗渠の反対語、ふつうに水面の見える川は開渠という。
■暗渠が秘める三つの愉しみ
ではそんな暗渠の何が愉しいのか。それは「つながり」「うつろい」「たたずまい」の3つの視点に集約できる。
「つながり」という要素の愉しさは、「一見関係なさそうな東京・世田谷区の下北沢と上北沢という街は、実は北沢川という暗渠でつながっている」という事実をお知らせするだけで伝わるかもしれない。暗渠はたいてい地図に明記されていないし、現場でもあまり「ここが暗渠です」とは示されることのないステルスな存在である。しかし、地図で・現場で「ここは暗渠だな」と謎解きができるちょっとしたコツがあるのだ。その謎解きはまるで街をフィールドにした巨大なパズルに挑むよう。解き進むに連れ暗渠のネットワークが自分だけの脳内地図にどんどん書き加えられていく。その暗渠によって浮かび上がってくる新しい「つながり」に激しく心弾むのだ。
【図2】地図といえば、多くの人の頭に浮かぶのは路線図や道路地図だろう。そこに水みちのレイヤーが重なると、新たな脳内地図ができあがる!
二つめの「うつろい」とは、2018年に当サイトで連載されていたこれ(リンク→http://www.shonan-monorail.co.jp/sora_de_bra-n/nishimura2/)とまさに重なるものだ。
【図3】2018年2月から4回にわたって連載された、西村まさゆき氏の『開業当時の古写真の場所はいったいどこか探す旅』。これこそ「うつろい」をひもとく愉しさだ。
多くの川が暗渠となるのは高度経済成長期以降、鎌倉であればおそらくさらにそれ以降だろうから、直接地元のおじさんおばさんから暗渠になる過程も聞けるだろう。そんなヒューマンスケールの身近な歴史に向かい合い、昔はどんな姿だったのか、どんなふうに愛され、憎まれてきたのかといった歴史をひもといていく愉しさが味わえる。
最後は「たたずまい」。暗渠の姿そのものの愉しみだ。ぱっと見、暗渠は単なる道である。そしてその多くはひっそりとして通る人も少なく、場所によっては暗くじめっとした路地となり、ひどいところでは草ぼうぼうにほったらかされて粗大ごみさえ捨て置かれていたり。しかし注意深く見るとそこには、川だったころの尊厳が隠れているのだ。そんな思いで相対すれば、何でもない地味な路地もきらきらと輝く名所に見えてくるのである。
【図4】苔むした路地にスコップが打ち捨てられる滝の川の支流の暗渠(横浜市港北区)。川の魂が未だ残っていると思うとこの景色も侘び寂びの境地に思えてくる、でしょう?
さて一般論はこれくらいにして、次回からはいよいよ湘南モノレール沿線の暗渠の愉しさについて語っていこう!
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