暗渠マニアックス 吉村生
湘南深沢の駅に降り立つと眼下にぼわっと広がる、広大な空き地。JR大船工場跡地が、ぽっかり空いているのだ。だだっぴろく、平坦に見える地形。こんなところに、暗渠なんてあるのだろうか?
【図1】湘南モノレール湘南深沢駅から西を見下ろすと広がる風景
いや、大丈夫。目をこらせば、駅のホームからも見えてくる。あれはまさしく、細い水路の跡だ。それを見て確信する。ある、あるね、ここにはきっと、良い暗渠が。
【図2】東側は住宅街。だが、目をこらせば...(矢印部分は暗渠。見えますか?)
■湘南深沢の昔
そもそも「深沢」という語が、水との縁をものがたる。深沢の由来については諸説あり、そのひとつには、太古、ここが湿地だったというものがある。現在深沢という住所はないけれど、明治22年から昭和23年まで深沢村が存在していた。しかしもともと、深沢はより広い地域名を指すもの。そのため、名の発祥となった深沢なる湿地が、本当はどこにあったのかはわからない。
ある伝説によれば、「鎌倉」と「海月」(なんてすてきな地名!)との国境に深沢という大きな湖があったという。いつでも濃い霧におおわれた、うすきみ悪い湖で、5つの頭を持った龍が住んでいた。その龍は怖くて悪いいきもので、村の子どもを食べることも続き、ひとびとは泣く泣く引越していった(=子死越)、と、腰越の地名の由来(※諸説あります)とも関わっている。
龍が本当にいたかどうかはさておき、この五頭龍というイメージも、付近の地形からもたらされている。あちこちで水が湧き、流れ、溜まる。水はときには脅威ともなるが、かけがえのないもの。この地は、ひたひたと、水に囲まれた場所だったに違いない。
■湘南深沢駅前のちいさな暗渠
ホームから見えた水路の跡は、どこからきて、どこにゆくものなのだろうか。近づいてみると、奥に進み、そして横に曲がっていた。
【図3】ホームから見える暗渠を近くから見たところ
入るのがためらわれるような空間なので、ぐるぐると住宅地を歩いてみる。すると、暗渠の入口にまた出会う。
【図4】駅から南へ回る。道路脇に顔をのぞかせた細い暗渠
等覚寺の向かいには、スリムな暗渠があった。
【図5】等覚寺前の水路跡。水は流れていなかった
しなやかに曲がりながら住宅の間を抜けてゆく、その美しさに見惚れてしまう。しかし、ここから唐突に始まっているので、どこからきた水なのか、よくわからない。
■湧水の記憶
おそらく、昔はそこここで水が湧いていたのだろう、と思う。付近にはいくつも湧水の伝承がある。
たとえば、神奈川の地元スーパー相鉄ローゼンの南に、かめのこ山(小字名亀山)と呼ばれるところがある。亀の甲羅のようだから、そう呼ばれるということらしい。現在は慰霊塔が立っているのみの、地味だが奇妙な場所だ。
【図6】かめのこ山を見上げる。唐突にあらわれるちいさな山
かめのこ山には現在は水のかおりがしないけれども、往時はここから、どんなひでりの時でも水が湧いていたという。その水を沸かして飲むと、丈夫になるという言い伝えまであった。
また、駅前のJR大船工場跡地周辺は、いにしえの戦場であった。その後は田んぼとなったが、いつの頃からか田んぼから鉱泉が湧き出し、温泉旅館が営まれ、湯治客がきていたという。海軍が工場を建てるため、田んぼは埋められ、旅館もなくなってしまったけれど。
こんなふうに、有名無名の湧き水が、深沢周辺にはあふれ出ていた。
ととのえられた現代の風景は、大昔の記憶をとどめていないように見えて、案外、とどめている。それを感じるときわたしは、土地の魂が継承されている、と思い、ほくそ笑む。セブンイレブン付近の暗渠の近くに、池があった。池というか、民家の軒先に人工的に作られたイケス。暗渠のそばに、このような人工池を見かけることは少なくない。かつては湧水池が家の庭にあり、そこにいた魚たちをいまはここで飼っているのかもしれない、などと、頭の中で小さなものがたりをつくる。
【図7】民家に設えられた鯉の池。暗渠と結びつけたくなるわたし
歩いていたら、不思議な井戸を見かけた。...二度見した。なにしろ、フェンスで囲まれ、封印されているようなのだ。
【図8】謎多き井戸。路上観察物件としても上物であろう
この井戸がなんなのか、今のところわからない。しかしこれも、この地にあったたくさんの湧き水と水路の、名もなき名残のような気がしてならない。
ひとつひとつの水辺には、いくつものものがたりが内包されているものである。次回は一本の暗渠を追いながら、この地にあった水のものがたりに、少しだけ触れてみよう。
【map】湘南深沢駅付近の暗渠をオープンストリートマップにプロットしたもの