天気が今ひとつだったせいもあり、メインストリートに戻っても観光客の姿は疎(まば)らだ。その人影が日暮れと共にますます減って、猫の姿が増えてくる。
中津宮下、ヨットハーバーを望む展望台には、幹に「石川五右衛門(いしかわごえもん)」と刻まれたご神木がある。
なんで石川五右衛門なのか。
理由はわからないけれど、ここは通称『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』という歌舞伎で知られた弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)所縁(ゆかり)の地でもある。
「知らざあ云って聞かせやしょう、浜の真砂(まさご)と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種{たね}はつきねえ七里ヶ浜、その白波の夜働き、以前を云やあ江の島で、年季(ねんき)つとめの稚児が渕(ちごがふち)」菊之助はこう啖呵(たんか)を切り、のちには「岩本院の稚児あがり」と名乗りを上げる。
弁天小僧の由来は、まさに江の島弁財天にある。
名乗りに出てくる岩本院は江の島入り口に建つ老舗旅館、岩本楼の前身だ。もっと言うなら、菊之助という名は海に身投げをし、稚児ヶ淵の名の由来となった白菊丸(しらぎくまる)にあるだろう。
石川五右衛門の木のある場所から、稚児ヶ淵は見えない。が、著名な歌舞伎と有名な伝説を受けて、ご神木には日本一有名な大泥棒の名が刻まれたのかも。
そんな蘊蓄(うんちく)を話したのち、一行は児玉神社に向かった。
児玉神社は日露戦争で活躍した軍人児玉源太郎(こだまげんたろう)を祀った神社。結構立派な神社だが、やはり一般の観光コースからは外れている。
その鳥居前に立ったときだ。
「光った!」
誰かが声を上げた。
聞けば、鳥居の奥に広がる暗がりを、白い光がすっと落ちていったという。一瞬、皆は騒いだ。が、
「落ち葉が外灯に反射したんじゃないの」
中野氏は言って鳥居を潜った。
冷静なのではない。参道を上がりたくて、うずうずしているのだ。
夜とはいえ、外灯が整備された江の島はどこに行ってもそこそこ明るい。山中の闇歩きより、光量は常時三割増しだ。その中、児玉神社の参道は群を抜いて暗かった。
常日頃から「暗ければなんでもいい」と言っている中野氏は、そこにさっと飛び込んでいく。その背中は雄弁に、光より闇だ! と語っていた。
私は喪中につき待機したが、あとで聞くと、神社改修中のため、上は真っ暗だったとか。そして、やはり中野氏はすごくテンションが上がったらしい。
途中、月も見えたというが、でんでん虫に気を取られていた私はまったく気がつかなかった。