さて最後にとりあげる龍口寺の魅力、それは仏像である。
昨今は仏像ブームが続いていて、鎌倉にも高徳院の阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)や長谷寺の十一面観音だけでなく、国の重要文化財に指定されている浄光明寺の阿弥陀三尊、来迎寺の如意輪観音など名の知られた仏像がある。
龍口寺はどうか。
大本堂には、正面に日蓮聖人坐像のほか、脇陣には、六老僧、鬼子母神、清正公坐像などが安置されている。
まず素人目に惹かれたのは、それらの主要な像ではなく、大前机を支える邪鬼だ。
まるまると太った2体の邪鬼は、よそではあまり見られない巨躯とかわいさで印象に残る。
今回龍口寺の下邨(しもむら)執事に撮影の許可をいただいたのだが、執事も、この邪鬼が参拝者に人気だとおっしゃっていた。いきいきとした表情を見ていると親近感が湧いてくる。
邪鬼は脇侍の持国天、毘沙門天の足元にもいて、こちらの2体も赤と緑の彩色が鮮やかでインパクトがあった。
だが、大本堂でもっと私が気になった仏像は、他にある。
実はその仏像こそが、私が今回龍口寺の記事を書こうと思った最大の理由なのだ。
それは左の脇陣、鬼子母神や大黒天、清正公坐像などが並んだ一番左の端にひっそりと立っている。
最初に見たとき、これが一体何の仏なのかわからず、思わず堂内にいたお坊さんに尋ねたところ、帝釈天ですと教えられた。
帝釈天?
帝釈天といえば、有名な東寺(京都)の象に乗ったイケメンな仏像を思い出すが、それとはずいぶん様子が違う。
立派な髭と菱形に輝く目、どこかアイヌ文様を思わせる兜もしくは帽子を被り、右手には剣、左手にはぐっと力を込めて、大きく脚を開きどっしりと構えている。
これが本当に帝釈天なのか。
あらためて下邨執事に確認してみたが、帝釈天と伝わっていること以外、何もわからないとのこと。いったいいつどのようにして龍口寺にやってきたのか、奉納されたものなのか、寺で彫られたものなのか、その出自も時期さえもわからないそうだ。執事がその場で像をひっくり返して銘などを確認したが、どこにも何も書かれていなかった。今となっては、これが帝釈天とされる根拠さえも伝わっていないのだ。
背後に立てかけられた板曼荼羅には、四天王の名が書かれ、四天王を統べるものとして帝釈天と判断されたのでは? と質問してみたが、この板と仏像は別々のもので関連はないという。
ちなみに藤沢市の文化財総合調査報告書(平成元年)には、「木造帝釈天立像」との記載がある。報告書には短く、
「像高34.9cm 台座高11.2cm 大堂安置。民俗的な要素の濃い異形相である。民間信仰における祈祷の本尊か。一木造、彫眼、黒漆塗。近代の作。」
とだけ記されていて、つまりは比較的新しい近代のものという以外、何もわからない。帝釈天と判断された理由も謎のままだ(報告書に記載があるだけで、文化財には指定されていない)。
あらためて像を見ると、髪の形が左右で違っており、左頬からは髭らしきものがヒレのように突き出しているが、右にはそれがなく、かわりにたて髪のようなものが背中まで届いている。あるいはこれは服の一部だろうか。
そしてよくよく見れば剣だと思ったものは棒で、すっかり剣だと思い込んでいたから、ますますわからなくなった。
この棒、もともとは先端に何か付いていたように見える。
いったい何が付いていたのか。
わからないことばかりだ。
わからないことばかりなんだけれども、私の感想をひとことで言わせてもらうなら、こうだ。
かっこいいい!!!!
私は昔から仏像が好きで、京都や奈良でもあちこち見に行ったが、こんなのは初めて見た気がする。
このかっこいい仏像はなぜ世に知られていないのだろう。
その異形の姿は、他では見られないユニークなものであり、これを見るためだけでも龍口寺に訪れる価値ありと私は考える。
以上が、私が見た龍口寺の4つの魅力である。まだまだあると思うが、シーズン問わず味わうことができる魅力を紹介してみた。
全国の仏像ファンはぜひ龍口寺に不思議な仏像を見に来てほしい。そしてその正体を知っている人がいたら教えてほしい。