2軒目は駅から15分ほど歩く「中華でぶそば」に向かった。他にも行きたい店はあるのだが、町中華らしからぬ店名が気になるのだ。また、ここは名優の渥美清さんが撮影の合間に通った店だという情報もあるとなれば、大船町中華を語るにおいて欠かせない店だと思ったわけだ。
看板メニューは寅さんセット。半炒飯、半ソバ、半シュウマイでいろんなものが効率よく食べられる組み合わせだ。壁にはてきねいに額装された色紙や寅さん映画のポスター、新聞記事などが飾られていた。「味喜」の後なので、ふたりで1人前と餃子をお願いする。シュウマイと餃子の両方を提供する店は意外と少ないが、ここでは餃子を蒸してゴマ油で焼くことで味の変化をつけているようだ。
む。全体にあっさりめ。これぞ昭和の味とヒザを打ちたくなるような、いくらでも食べられそうな味付けだ。2代目のご主人に訊ねると、先代のレシピを忠実に守っているとのこと。
「ウチはもう70年くらいになるんだけど、もとは別の場所でやってたの。そこが大船撮影所の正門を出て1分のところにあったせいで、よく使ってもらっていたみたいだね」
ここへ移転したのは、周囲に工場がたくさんあるわりに食べ物屋が少なかったからだという。当時は昼ともなれば行列ができる繁盛ぶりだったとか。
「いまは工場がなくなっちゃったけど、まぁのんびりやってます。そうそう、店名はここへきたときにつけたみたいだね。それまではなかったんですよ、店の名前」
すごい話が飛び出してきた。昭和20年代に持った最初の店舗は、バラック建ての簡素なもので、名前など必要なかったのだ。で、移転して店を構えようとなって、「はて、名前がないぞ」となり、あだ名だった「でぶ」をそのまま屋号にしてしまったという。思わず笑ってしまうけど、これ、時代を象徴するエピソードでもある。町中華はその近くに住む人やはたらく人が客なので、店名に凝るところが少ないのだ。中華と分かれば用は足りる。まして周囲に中華のライバル店がないとなれば「中華でぶそば」で十分だったのだろう。勝負はあくまで味と値段と量。なんとなく、初代の気さくな人柄がうかがえるではないか。
「そういうところなのかなあ。渥美さんが気に入ってくれて、撮影所からわざわざきてくれるんです。山田監督はもちろん、歴代のマドンナも、だいたいウチで食べたことがあると思いますよ。撮影の合間でしょ、渥美さんは寅さんの衣装でくるんです」
実像は寡黙で気難しかったと評される渥美清さんだが、ここへは寅さんとして食べに来ていたらしい。めったに見ることがなかったであろう"リアル寅さん"である。
「渥美さんの漢字のサインって珍しいんですよ」
晩年、10枚だけ書いた色紙が、亡くなった後で届けられたそうだ。あとの9枚がどこに飾られているか、ご主人は知らない。
まいった。まさか町中華でホロリとさせられるとは...。
「いい話でしたね。町中華、また食べに来ませんか」
宮田さんに言われるまでもなく、僕も去りがたい思いになっていた。今日はもう食べられないけど、入ってみたい店が複数残っている。
ひとまず、さらば大船だ。待っていろ、すぐまた腹ペコで戻ってくる!
●中華でぶそば
営業時間 11時半~16時
定休日 不定休(週末は遠方からやってくる寅さんファンに遭遇する確率高し)
住所 横浜市栄区笠間2丁目6-7
電話 045-892-6882