6月某日。大船フラワーセンターのホームページで、花菖蒲が見頃との情報をキャッチし、再びフラワーセンターを訪れた。
ちょうどこの日は、園長に園内の植物を案内していただける「花さんぽ」の開催日。30人ほどの参加者が、園長のガイドのもと園内の植物を見物した。常連参加者もおり、結構人気のイベントのようだ。
スイレンやアジサイ、バラなどの見頃を迎えた植物の中でも、特に目を奪われたのが花菖蒲だ。
写真1:大船フラワーセンターの花菖蒲園
エントランスを入って右手に、園内の奥まで続く帯状の花菖蒲園があり、色とりどりの花菖蒲がみずみずしく咲いていた。
ここに植えられた約120品種のうち約半数が、大正時代にこの地で育種された「大船系」の花菖蒲だ。
10年前から「大船系」花菖蒲の品種を保存・管理している玉川大学農学部の田淵俊人教授のご協力のもと、「大船系」花菖蒲の特徴や魅力に迫った。
写真2:大船フラワーセンターの花菖蒲園
まず花菖蒲のルーツは、野生のノハナショウブを改良した園芸品種。
野生のノハナショウブは、氷河期に生まれた植物で、日本国内では北海道から九州まで広い範囲に自生する。水辺を好む花菖蒲は水田の付近に植えられることが多く、稲作文化と深く結びつき古くから愛でられてきた。
園芸品種である花菖蒲の品種改良が進んだのは江戸時代。徳川家康、秀忠、家光の三代将軍が花好きだったこともあり、江戸に各地のノハナショウブが集まり、それをもとに花菖蒲が育種・栽培された。特に「菖翁」こと松平左金吾氏は、300もの品種を作り出したそうだ。
当時湿地の多かった下町ゼロメートル地帯に、堀切菖蒲園をはじめ多くの菖蒲園が作られ、「菖翁花」をはじめ江戸で育種された花菖蒲が植えられた。
当時江戸の地で育種された花菖蒲は「江戸系」と呼ばれる。
菖蒲園に植えて鑑賞するため、水平に広がる平咲きが多いのが、「江戸系」花菖蒲の特徴だ。
写真3:江戸系品種の"江戸自慢"(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
同時代に、肥後や伊勢でも独自の特徴を持つ花菖蒲が育種され、それぞれ「肥後系」「伊勢系」と呼ばれている。
「肥後系」花菖蒲は、菖翁が自作の品種を熊本に送ったのが始まりとされている。武士道の文化と結びつき、座敷に置いて金屏風を背にして鑑賞するので、大輪で豪華な花型が特徴的だ。
写真4:肥後系品種の"三国山"(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
「伊勢系」花菖蒲は、地元のノハナショウブをもとに育種されたと言われている。地元では、ノハナショウブは伊勢神宮に入る巫女が修行する「斎宮」のそばに自生し、神道と結びついて愛でられてきた。垂れ下がる花型で、おしとやかで清楚なイメージが特徴的だ。
写真5:伊勢系品種の"乙女"(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
「江戸系」は一般庶民が菖蒲園で自由に鑑賞できた一方、「肥後系」「伊勢系」はいずれも門外不出として、昭和になるまで一般に知られることはなかった。
これらの「江戸系」「伊勢系」「肥後系」の三つの品種は、花菖蒲の中でも「古花」と言われる。一方、戦後これらの品種を自由にかけあわせて作られた品種は「新花」と呼ばれる。
大正時代に国策として育種された「大船系」花菖蒲は、稲作文化と結びついた「江戸系」、武士道と結びついた「肥後系」、神道と結びついた「伊勢系」とは異なり、国際化という当時の時代背景と結びついた育種が行われた。「古花」と「新花」の間にある、独特の立ち位置の花菖蒲だ。
育種の中心人物は、当時の神奈川県立農業試験場長の宮澤文吾氏。当時入手可能だった「江戸系」の品種を掛け合わせて、わずかな期間で約300もの品種が育成された。
「江戸系」がベースとなっているものの、はっきりした色味の江戸系とは異なり、全体的に淡い色合いなのが魅力だ。
写真6:大船系品種の"夕陽"。平咲きの六英花(花被の枚数が六枚)。(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
写真7:大船系品種の"薄雲"。白地に青紫色の砂子模様があるのが特徴的。(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
写真8:大船系品種の"朽葉"。茶味がかった紫色は、江戸・肥後・伊勢のいずれにもない色味だという。(玉川大学農学部・田淵俊人研究室ホームページより)
「大船系」花菖蒲のもう一つの魅力は、情緒のある品種名。宮澤文吾氏によって、源氏物語に登場する言葉が品種名になったとのことだ。
自由で民主的な大正時代の空気を反映し、海外輸出目的とはいえど、海外好みに合わせるのではなく、それまで日本で育種された花菖蒲の特徴や、日本の感性を織り込んだ独自の品種改良が行われた。
写真9:大船系品種の"心の色"。大船フラワーセンターにて撮影。
写真10:大船系品種の"賎が家居"。大船フラワーセンターにて撮影。
写真11:大船系品種の"花の都"。大船フラワーセンターにて撮影。
大正初期には300もの品種があった「大船系」花菖蒲だが、その後の戦争などで品種ががくっと減ってしまった。品種が消滅しつつある状況を危惧し、約10年前に、玉川大学農学部の田淵俊人教授により、残存品種の株分け分が学内の農場に移転された。
以来「大船系」花菖蒲は順調に育成し、保存されている。
写真12:開花時期になると、研究棟のエントランスに、開花した花菖蒲が飾られる。
国際化という時代背景のもと、それまでの伝統的な花菖蒲の特徴を取り入れながらも、新しいエッセンスが加えられ、独特な品種改良が行われていた「大船系」花菖蒲。
そんな「大船系」花菖蒲が見られるのは、現在大船フラワーセンターと玉川大学のみだという。
田淵教授曰く、一度枯れてしまったらその品種は消滅してしまうとのこと。品種を受け継ぐとは、本当に大変なことなのだ。
希少な「大船系」花菖蒲、ぜひとも残存しているうちに実際に見に行ってみることをおすすめしたい。
写真13:玉川大学内で保存されている大船系品種"空の光"
写真14:玉川大学内で保存されている大船系品種"曙"
写真15:玉川大学内で保存されている大船系品種"難波津"
第二回・第三回の記事では、大正時代に大船フラワーセンターの地で独自に育種された「大船系」植物について触れた。
次回最後の記事では、戦後に園内で自然交雑から偶然生み出され、地元の人の手で周辺地域に広がっていった「玉縄桜」について触れてみたい。
<続く>
取材協力:
玉川大学農学部教授 田淵俊人先生
参考文献・ホームページなど:
・玉川大学農学部田淵俊人研究室ホームページ
http://www.tamagawa.ac.jp/agriculture/teachers/tabuchi/index.html
・『日本園芸界のパイオニアたち―花と緑と、20の情熱』(椎野昌宏・淡交社)