待っていたのは奇跡のエンディング
毎日鎌倉に通勤しているのに湘南モノレールに乗ったことがなかったという、鎌倉市川喜多映画記念館の学芸員・阿部久瑠美(あべくるみ)さんに初乗車してもらいました。片道14分の空の旅は「いつもと視点が違い発見も多く楽しい時間だった」と振り返ります。戻って来た大船には、かつて松竹大船撮影所がありました。お腹も空いてきたので、少し歩いてお店を探しましょう。
松竹大船撮影所は、東京蒲田から1936(昭和11)年に移転してきて、小津安二郎監督作品をはじめ、久瑠美さんが大好きだという「男はつらいよ」シリーズもここで撮影されています。往時には約1000人が働いていたともいわれるほどで、界隈の店もにぎわっていたそうですが、2000年(平成12)年に64年の歴史に幕を下ろしました。
「ここ浅野屋さんには、以前おじゃましたことがあります」
創業1922(大正11)年という、松竹が来る前から続く老舗のおそば屋さんです。割り箸の紙袋には「大船松竹前 浅野屋」とあるそう。道路の向かい(写真では右奥)が撮影所というロケーションで、監督や出演者、製作スタッフなどが利用したとのこと。関係者からはなぜか「ちびそば」と呼ばれていたとか。
残念ながらこの日は定休日で、その真相は聞けませんでした。
ここから少し北上すると、かつての撮影所の入り口付近です。
交差点に「松竹前」という名前が残っています。
「ここに広大な撮影所があり、毎日たくさんの映画が作られていたと思うと感慨深いですね」
現在はイトーヨーカドーやブックオフ、鎌倉女子大などが並んでいます。
もうひとつの名前が残っているのが、ここから駅に向かう「松竹通り」。ここを歩き始めると・・・
やはり撮影所のスタッフらが利用したり出前に使ったりしたという「レストランミカサ」は、昭和12年の創業。以前はこの駐車場あたりにありましたが、現在は向かいに移転しています。
ところが、お店の前には「休業のお知らせ」が。「移転してからしばらくやっていたんだけど、このところずっと閉まったままだね」と通りを行く人も心配しています。
「ずっと食べてみたいと思っていたので残念です」と久瑠美さんが嘆く、ここの名物といえばこちら。
「かつめし」です。
千切りキャベツの上にソースを掛けたトンカツ、さらに焼き飯を載せ、頂上にはグリーンピースがお行儀よく並び、今でいう「インスタ映え」もするビジュアルで人気でした。もちろん、おいしいのでリピートする人も多かったとか。
実はこの「かつめし」は、撮影所の人のアイデアで生まれたメニューだそうです。あわただしい撮影現場でフォークだけでササッと食べられるものをというオーダーで生まれたとのこと。つまり「かつめし」の「かつ」は「とんかつ」の「かつ」ではなく、「活動写真屋のめし」の略だったのです。
「撮影所があった記憶を伝えるためにも、ぜひ復活を」と「ミカサ」さんを後にします。
しばらく北上し、住所が鎌倉市から横浜市に入った所にあるのが「でぶそば」です。
「寅さんファンの聖地ですね」と言いつつ、「実は初めてなんです」と笑って告白する久瑠美さん。店内に貼ってある「男はつらいよ」のポスターにウキウキです。
「これは47作目ですね」
さて、「でぶそば」を有名にしたのが、渥美清さんが訪れると必ず頼んでいたというセットの「半チャン、半ソバ、半シュー」です。チャーハンも、ラーメンも、シューマイも食べたいけど、それぞれ一人前だと食べ切れないからという渥美さんの願いを店主がかなえたというもの。
さっそく注文しました。
「たしかに丼も小さめですけど、けっこうボリュームありますね」
目の前に現れたセットに感動しつつ、箸を進めます。
「優しい味。これを渥美さんも食べていたんですね」
お店の女将さんに話をうかがうと、撮影所の前から現在の場所に移ってからも渥美さんはよく通ってくれたそうです。
そして、1作ごとに必ずヒロインを連れて来店してくれたとのこと。大勢を連れての来店時には「料理が全員に行き渡るまでぜったいに箸をつけなかった」という話が人柄を忍ばせます。
店内に貼ってあったこの色紙にも、すてきなエピソードが。
47作目の撮影後、10枚届いたうちの1枚とのこと。「でぶそば」の店内にサインがなかったことに気付いた渥美さんの心遣いだったようです。しかも、いつもはひらがなで書いていたそうなので、漢字でのサインはとても珍しいとのこと。
「このあたりからの渥美さんは弱ってきているのが分かり、見るのもつらかったんです。出番も減って、晩年にいつもマフラーやストールを巻いていたのは首の注射針の跡を隠すためだったとも聞いています」と久瑠美さんは話します。
そして、48作目「寅次郎紅の花」が遺作となってしまいました。
「やさしくて思いやりのある方。ご一緒される方の話を楽しそうに聞いていらっしゃる姿を思い出します」
そう話す女将さんの言葉に久瑠美さんは大きくうなずきます。
「エピソードを聞いてますます好きになりました。寅さんも、演じた渥美さんも」
「こんにちはー」高齢の男性が入ってきました。
「いらっしゃい。いつものね。チャーハン4分の1? 半チャンよりちょっと少なくしておきましょうね」
女将さんが答えます。
やり取りを聞いていると、どうやら映画関係者のようです。
「そういえばガジロウさんが1月くらい前にお見えになったわね」
「昔はよくあいつの店にも行ったけどな」
「お元気そうでしたよ」
「今度また会うんだよ、みんなで」
どうやら、シリーズのレギュラーで「寺男」役の佐藤蛾次郎さんの話題です。
もう我慢できなくなった久瑠美さん。立ち上がって話を聞きに。
この男性は青本たかじさんで、撮影所では46年間、照明ひとすじ。山田洋次監督のもとで60本、寅さんシリーズでも35〜6本担当したという大ベテランさんでした。
「兄も照明、姉はメイキャップ。家族で松竹だったよ。なにしろあの頃はスタッフだってすごい数いたからねぇ」
「でぶそば」には渥美さんに連れられて来たのがきかっけで、今でも定期的に通っているのだそうです。
「2年くらい前に渥美さんの20回忌に行って当時のメンバーと会ったけど、今度また会うんだ」
というのも新作の撮影が始まるというのです。渥美さん不在で?
「そうなんだよ。今までのを何だか切ったり貼ったりしながららしい」
過去の映像も使いながら最新技術を駆使して作るようです。
「で、撮影所に集まって見学した後、みんなで食事するんだよ」
とのこと。どこの撮影所なんですか?
「東宝だよ。松竹はもうないから」
そうですよね。あらためて寂しく感じます。
「ヒロインのゴクミちゃんも来るって」と青本さんが言えば
「そういえば、ゴクミちゃんもここに来たわねぇ」と女将さんが返し、話は尽きません。
「こんな方と偶然お会いできるなんて感激しました」
初めて湘南モノレールに乗る目的の小さな旅の最後に、こんな出会いが待っていたなんて、まるで映画のような展開に驚く久瑠美さんでした。青本さん、でぶそばのご主人と女将さん、ありがとうございました。
最後にお店の前で青本さんと写真におさまっていただき、久瑠美さんの初めての湘南モノレールの旅はエンドロールを迎えます。
さて、実は1996年に渥美さんが亡くなった翌年49作目「寅次郎ハイビスカスの花 特別編」が製作されて打ち切りとなっていたシリーズですが、第1作の公開から今年が50周年でもあり、現在50作目を製作中です。タイトルは「男はつらいよ お帰り 寅さん」で2019年12月27日に公開予定。桑田圭祐さんが主題歌を歌うことでも話題になっています。
それにあわせて鎌倉市川喜多映画記念館で「男はつらいよ」上映会なんてあるとうれしいですね。もちろん、久瑠美さんセレクトで。ぜひお願いします。