電車とかモノレールに揺られてでかけ、寺社を訪れるとしよう。駅を下りてから目的地まで300mほどある。どうするか。
もし時間と体力に余裕がないならタクシーに乗るのが一番はやいが、普通はスマートフォンなりガイドブックなりを使って最短距離で向かうだろう。効率的だし。
でもわたしなら古社古刹っぷりを思い切り楽しむ。多少遠回りでも、当時の人と同じ道筋をたどって向かうのである。
往古から参拝客を飲み込んできた道には歴史の痕跡がいっぱい残っているのだ。路傍に野仏や道標があり、地元の人が大事にしてきた小さな名も無い祠があり、そういう道を歩いていくと点に過ぎなかった史跡が「線でつながって」いくのである。
幸いなことに、今はスマートフォンから閲覧できる古地図がいっぱいあるから比較的容易だ。
というわけで、「東京古道散歩」の荻窪圭です。
縦横無尽に張り巡らされた現代の道路網に埋もれた古い道筋を探し出して歩くのが好きで、高じて「東京古道散歩」「東京古道探訪」「古地図と地形図で楽しむ東京の神社」などを刊行させていただいております。
そして今回のテーマは「江の島道」。
○住宅街に突然あらわれる「江の島道道標」がはじまり
江の島道って、要するに江の島への参詣道で、社寺参拝が流行した江戸時代は東海道藤沢宿から江の島への道が大変賑わい、何本もの道標が立てられてた。
でも江の島道って一本じゃない。江の島へ向かうための道はすべて「江の島道」だ。
その一つが、湘南モノレール沿いに残っていると聞いたのだ。
湘南モノレール富士見町駅と湘南町屋駅の間くらいから少し南東へ入ったところにある「江戸時代の道標」である。
富士見町駅から南下し、途中で南東へ向かう古い道を辿ると、丁字路にいきなりあらわれる。
もっと近寄って見よう。隣がゴミ置き場なのでちょいと風情には欠けるが、立派な文化8年(1811年)の道標だ。
「従是江のしま」と書いてある。「ま」は「満」をくずしたかな文字で変体仮名と呼ばれている。一番下に1文字埋もれているけど、たぶん「道」だろう。
「従是」は道標によく見られる表現で、「これより江の島道」って書いてあると思ってOk。
こんなものを見せられては、「この道標に従い、当時の道を使って江の島まで歩いてやろうじゃないか」と思うのが「古道散歩家」ってものである。
その道標がある場所はこちら。実になんてことない、こんなところになにが?という場所である。多くの道標が道路の拡幅や区画整理の影響で失われたり場所を移されたりした中、元の場所に残っているのはこういう立地だったからといって過言ではあるまい。
明治前期の地図だとここになる。まだ道が少ないのでわかりやすい。
東西の道の途中にある丁字路だ。
ここで道なりに東へ向かうと、源頼朝が軍勢を勢揃いさせた伝承のある「水堰橋」で「鎌倉街道中つ道」につながる。由緒ある古道である。
さて明治前期の地図を見ると、確かにこの丁字路(白い丸)から南へ向かう道がある。
いざゆかん。