湘南モノレールの文字を巡る「もじ鉄」の旅。第3回目にしてまだ2駅目だ。ペース配分を考えていないと言うべきか、スタートダッシュが遅いと言うべきか、筆者の性格が滲み出る今回の連載であるが、ここからはスピードを上げ、湘南モノレールのようにグングンと進んでゆきたい。
富士見町駅からモノレールに乗り、車庫のある湘南深沢駅に到着。今回は駅名標ではなく、のりばの番号や方面が記された「乗場番号標」に注目。
このレトロな風合いがたまらない。駅名標で使われている「新ゴ」や、普段よく目にしたり耳にしたりする「ヒラギノ角ゴ」「メイリオ」などと言った、PC上の「フォント」にはない味のある手書き文字だ。かつてのサインは手書きが多かったものだが(とはいえ世代的にあまり知らないが)、湘南モノレールの一部の駅ではこのように現役で残っている。
と、ここで古い看板のことが気になり出した。せっかく湘南深沢駅で降りたのだから、車庫に保管されているヴィンテージな品々を見せていただこう。
お邪魔しまーす。
これはスゴイ! かつて使われていた駅名標や乗場番号標が美しく保管されている!
写真右側に並ぶ青い駅名標は「ゴシック4550」と呼ばれる書体で、かつて営団地下鉄(現・東京メトロ)大手町駅におけるサインシステム計画の一環として、駅のサイン用に設計されたもの。その後は営団地下鉄全線および小田急や関西の南海電車、山陽電車など各地に広まって行ったのだが、まさか湘南モノレールでも「ゴシック4550」が使われていたとは知らなかった......。
「ゴシック4550」が用いられた駅名標。
現代における「新ゴ」のように、当時の駅のサインといえば「ゴシック4550」だったのかもしれない。時代は移ろうもの。「Choo Choo TRAIN」は「ZOO」のものだと言っても、イマドキの若い子には「EXILE」のもののように......。
次に気になるのが手書きの乗場番号標。湘南深沢駅で見たものと同じスタイルだが、見慣れぬ行き先がある。
「湘南江の島」ではなく「江の島海岸」......? 駅名が違う......。いや、これは駅名ではなく「こっちが海岸方面ですよ」というイメージ戦略的なアレなのか。当時の若者を呼び込むため、あえて「海岸」と名付けることで、片岡鶴太郎さんに憧れた「季節はずれの海岸物語」視聴者を誘導する戦略か。
ちなみに筆者がはじめて一人暮らしをしたのは片瀬江ノ島。その後、モノレール西鎌倉駅にほど近い腰越周辺に住んでいた理由は「鶴ちゃんになりたかったから」である。ただしカナヅチかつ極度の潔癖症ゆえ砂浜を歩けない人間に、ひと夏の恋など訪れるはずもなく、コミュ障にとって「行きつけの個人経営な喫茶店」はハードルが高すぎた。「藤沢のクイーンズ伊勢丹で惣菜をお持ち帰り」が精一杯の楽しみであり贅沢だったのは言うまでもない。
閑話休題。なぜ正式な駅名の「湘南江の島」ではなく「江の島海岸」なのか、この疑問を広報の花香さんにぶつけてみる。
花香さん「実は大船〜西鎌倉間が開業した当時(1970年)、終点は現在の湘南江の島駅の位置ではなく、もっと江の島寄りの境川にほど近い場所に、江の島海岸という駅を作る予定だったんですよ」
筆者「京急さんで言うところの油壺とか三崎みたいなことですね!」
花香さん「えぇ(苦笑)」
イケナイ......また物事を京急中心に考えてしまった。つまり、開業当初は江ノ電の線路を越えて江の島の桟橋付近に駅を作る予定だったものの、紆余曲折を経て現在の位置に落ち着いたと。しかし当時はまだ「江の島海岸」という駅ができることも考えられたため、乗場番号標にはその駅名を記し、しばらくの間目隠しをされていたそうだ。
終点は「三崎口」なのに、将来の延伸を見越して「三崎」という行き先が電車に備わっていた京急と似ている。こういう幻の駅名は妄想が捗るものだ。家に帰ったら白地図に点線を書き込こもう。
その後、車庫から少し離れた倉庫に眠るお宝も見せていただいた。
うーん、欲しい。表札にしたい。一見ガラクタのように見えても、その界隈の趣味人にとっては垂涎の一品なのだ。しかし、いざ家に持ち帰ると、思っていたよりもサイズが大きく置き場に困るのが「収集鉄」の悩み。以前、ホンモノの電車の座席を自宅に設置し、その扱いに苦労した筆者が言うのだから間違いない。
さて、湘南深沢駅に戻り、モノレールで湘南江の島駅に向かおう。と、その前にこの深沢駅、駅名標とモノレールが正面を向いて同じアングルで撮れる「もじ鉄」にも「撮り鉄」にも嬉しい撮影スポットなのだ。
目白山下駅にも同様の撮影スポットがあるが、こちらは日中逆光となる。撮るなら日中順光の湘南深沢駅でキマリ!