日常の風景の中に突如ぬっと現れる巨大な仏像。巨大仏とも呼ばれる大仏との予期せぬ出会いに、目が釘付けになった経験のある人は、少なからずいるのではないでしょうか。目を奪われるだけにとどまらず、心ごとごっそり持っていかれてしまったのが、何を隠そうこの私。私にとってそれは劇的(ドラマチック)な瞬間で、一瞬思考が停止してしまうあの瞬間を求め、もう10 年近く日本中の大仏さまを探す日々を送っています。
日本中にそんなに大仏なんてあるの?
と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。100 メートルもあるような巨大仏と言われるものから、5 メートルほどの大仏まで大小合わせると、大仏は日本に400~500 は存在すると言われています。まさに日本歩けば大仏にあたる状態。ゆえに大仏さまを追い求める私の旅は終わらぬまま、きっと先に人生を終えるのだと思います。
そんな私と大船観音との出会いは今から9 年前のことです。湘南モノレールの出発点である大船。大船観音はそのシンボル的な存在で、地元の人々にとってはもはや日常。ですが、初めてみる人にとってはちょっとした衝撃の光景です。私にとってもその出会いは衝撃的で、それまでの大仏さまとは少し違ったものでした。
というのも、私がそれまでに出会った大仏さまと言えば、
茨城県牛久市に立つ牛久大仏(高さ120 メートル)や、
千葉県富津市に立つ東京湾観音(高さ56 メートル)など、
立像と言われる、立ってる大仏さまばかり。
立ってる巨大仏との街中や山中での出会いは、もちろん衝撃です。でもそれは一見して立っているのだとわかります。ですが山からにゅっと突き出るように胸から上だけがのぞく大船観音は、いまいち状態を把握できない不思議さがあります。
まず感じるのは大きさからくるインパクト。そして次に見えないその下がどうなっているのか疑問に思います。少なくとも私は、どうなっているのか気になって仕方ありませんでした。
まぁ考えるまでもなく、立っているとすれば比率からいって、山を掘り下げて地面に足がついてしまうサイズ感。ですから「座ってる座像なのかな」と思って参道を上り行ってみれば、
胸像であるという衝撃。
この日、2度目の衝撃です。私のつまらない想像や固定概念など簡単に打ち破られてしまったわけです。この全貌が見えないために生じる不思議さ。2 段階でくる衝撃は、他の大仏さまにはないものです。
ちなみに胸像の大仏というのは珍しく、胸像で高さが25.39 メートルもあります。本来は立像を作る予定が地形的な問題で胸像になったそうですが、結果としてそれが大船観音との出会いの瞬間をより劇的なものにしている気がします。
(さらなる劇的瞬間へとつづく)