イベントで鎌倉市中心部に出張することもあるというが、今後は基本的に、もののふ隊の拠点・深沢砦の界隈で活動してゆく予定。
深沢は、鎌倉氏発祥の地とされる村岡(藤沢市村岡)もすぐそば。古くから街道の交差する交通の要衝でもあり、知られざる古戦場や史跡も多い。それらを拾い上げ紹介してゆくのは、地元出身の自分たちにしかできないはず、と鎌倉さんは言う。
「少し前、とあるテレビ番組の撮影隊を案内した時、我々とは別行動していたスタッフの一人が、不審者と間違われて通報されちゃったんです。もし、甲冑姿の我々と一緒だったら、そんなことはなかったはず(笑)」
もののふの警備、心強い限りだ。史跡といっても深沢界隈は、案内の看板も、整備された道もない場所も多い。もののふ隊と一緒なら道にも迷わないし、歴史的背景もバッチリ解説してくれる。
ちなみに、鎌倉さんら案内役のもののふ隊の隊員のみならず、一般参加者が歴史装束を着て史跡散策ツアーに参加するプランも用意されている。予約時に、装束の詳細もきちんと説明してから参加してもらうので、ツアー中のトラブルや問題はこれまで起こっていないという。もののふ隊には、「備えあるので憂いなし」なのだ。
日本一鎧が似合う男!? このまま出陣しそうだ
第5章 もののふの野望
〝もののふ〟ということなので、今後の野望についても語ってもらった。
「鎌倉で1192(イイクニ)隊の武者行列を、実現させたいですね。1192〝人〟ではなく、1192〝隊〟です」
鎌倉時代当時の一隊は50人。ということは50人×1192隊で、約6万人。鎌倉市民が約17万人なので、1/3以上。もちろん、参加者は市外の人でもいいわけだが......。
〝隊〟にこだわるのは理由がある。もののふ隊の活動を始める前、鎌倉さんはほぼ毎年のように参加していた武者行列がある。山梨県笛吹市の「川中島合戦戦国絵巻」。それが1500人を集めるため、ギネスを狙う(=天下を獲る?)ためには、1192人では足らない。
「そんな大人数を鎌倉のどこに集めるんだよ、という問題は、既に解決済です。鎌倉七口といって、鎌倉へ入る道は主に七カ所ある。だから、1192隊を7つにわけて鎌倉を包囲し、『いざ鎌倉』で突入すると」
鎌倉氏が800年以上の時を経て、大群を率いて源氏に奪われた鎌倉を取り戻す。是非実現して欲しい、痛快な話ではないか。
ただし、それは最終的な目標のひとつ。まずはその第一歩として今秋、深沢の地で武者行列を実現すべく奮闘中のこと。開催は9月中旬。歌舞伎でも描かれている名武将の一人・鎌倉景正公の命日が9月18日。その霊を弔う御霊神社が深沢界隈には多数ある。それを武者行列で巡拝する。
もちろん、一般参加も大歓迎。詳細は鎌倉もののふ隊のホームページ上で近日中に発表予定とのことだ。
まずは、武者行列で「お試し」。気に入ったらワークショップに通って、マイ鎧兜作りに挑戦。そのうち、もののふ隊郎党の一人として、役者デビューも夢ではない。
法螺貝。武士体験参加者は誰でも吹いてみることができるが、なかなか大きな音を出すのは難しいそうだ。
了