「鎌倉もののふのメシ」という企画もスゴい。
鎌倉武士が食べていたとされる陣中食を忠実に再現。干飯、芋茎の味噌汁、味噌玉。焼きおにぎりは現在の醤油のルーツ・豆醤(ひしお)で味付ける。酒は濁り酒に蜂蜜酒だ。ケータリング形式で、鎌倉さんが監修し、調理専門家に作ってもらっている。
「文献を参考に再現していますが......、味は正直、当時のままかどうかわかりません。なにしろ1000年前の食事を食べたことある人は生きていませんから(笑)」
確かに。ただ、農村では現代でも食べられていたり、食材自体は今でも手に入るものも多いのだとか。
「ただし、戦陣食なので、味付けは非常にしょっぱいです」
ほかには、年に10数回の公演を続けている「鎌倉もののふ一座」というのもある。
「演目は、『鎌倉四兄弟 ─最後の晩餐─』の一つしかないんですが、毎回脚本家やキャストを変えて演じています」
深沢砦での公演のほか、時にはお寺などに出張することもあるという。
もののふのメシはイベントなどに出張提供も可能だとか
第3章 自宅は鎌倉幕府
ところで鎌倉智士さん、その立派な名前は当然、芸名ですよね?
「いや、実は本名なんです。かつて鎌倉を治めていたのは、鎌倉一族。私はその一族の末裔にあたるんです」
日本人の苗字はルーツはだいたい地名だ。鎌倉に住んでいた一族だから、「鎌倉さん」になったのだという。しかし鎌倉を治めていたのが鎌倉一族という話は初めて聞いた。歴史にはそれなりに詳しいと思っていた自分の無知を恥じる。
「そもそも皆さん、鎌倉といえば〝源氏ゆかりの地〟だと思っていますよね。でも、実は鎌倉氏は平氏だったんです。だから鎌倉はもともと、平氏ゆかりの地なんですよ」
そうだったんですか。
「鎌倉はもともと、平氏がルーツの鎌倉氏が開墾して、支配していた地。そこに、源頼朝が挙兵して攻め込んで来た。その時に付き従っていた武士たちだって、ほとんど平氏の血筋なんです」
そもそも、頼朝の父・義朝が破れて以来、日本の武士はほとんど平氏になっていたんだとか。だから、頼朝の頃の合戦は「源平合戦」といいつつ、本当は平平合戦だったのだ。関東で平氏の一派が頼朝を担ぎ、対立派の有力一族のひとつが鎌倉氏だった。
「それで、『ライバルを討つべし』ということで、頼朝は鎌倉へ攻めこむことになった。裏を返せば、それだけ鎌倉氏の存在が大きかった、ということでしょうね」
そんな鎌倉一族も頼朝に敗れて没落してしまい、現在では鎌倉に3軒ほどを残すのみ。その名を継いでいるのが、鎌倉智士さんというわけだ。
「鎌倉の歴史系のイベントなんかでは、義経や弁慶、静御前なんかも出てきますよね。頼朝はともかく、彼らは幕府鎌倉にはほぼ足を踏み入れていません。鎌倉氏のほうがはるかに、鎌倉にゆかりがあるんですけどね」
余談だが、「幕府」とは政庁であり、時の権力者の居館のこと。
「だから自分は、自宅のことを鎌倉幕府と呼んでいます」
鎧の下の装束も当然ながら平安鎌倉期のもの