椰子の木も植わる大佛旅館の庭は、松竹の撮影にもよく使われたそうだ。旅館の全景の分かる写真は、残念ながら出てこなかったとのことだが、いつかフィルムに残された姿を見てみたいものである。
大佛旅館には、映画俳優、映画監督など、松竹撮影所で活躍した映画関係者が多く宿泊した。何冊もある宿帳には、流麗な筆遣いのサインがめくるごとに登場する。
「皆さん、達筆ですよね。サラサラと絵まで描かれたりして」と、林川さんがページを繰りつつ見せてくださった。資料館のガラスケースの中にでもありそうな貴重な宝の山を目の前にして、私は少し緊張しながら宿帳の一部を写真に撮らせていただいた。
【写真】宿帳のサイン、一例。オサラギ商事株式会社提供。
写真・画像の無断転載禁止
何冊もある台帳の最後の1冊は紙質も新しく、サイン自体もマジックで書かれているものがある。1965(昭和40)年という日付のサインがいちばん新しいものだった。
母屋だった建物が旅館となり、メロン農園だった広い土地の方は、しばらくしてから駐車場として整備された。旅館のマッチの裏には、駐車場の案内もある。
【写真】オサラギ商事株式会社資料提供。
大佛旅館のマッチの裏には「おさらぎ駐車場 警備員のいる駐車場」と印字されている。電話は15番から2015番に変わっている。サイドには「HOTEL and PARKING」と英語表記。
写真・画像の無断転載禁止
もしかしたら、これを読まれている方の中にも、そういえばあの界隈で小さい頃に遊んだ、駐車場のことも覚えている、という記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれない。
後記
明治生まれの先代が始めたメロン農園から、激動の時代を経て、現在へ――。大船駅前のひとつの場所に、日本の近現代史の縮図を見ることができるようにも感じられる。
いま大船駅笠間口前のこのエリアは再開発中だ(「大船駅北第二地区市街地再開発事業」)。2020(平成32)年度の完成を目指しているという。林川さんは、この再開発の理事長を務め、「大船」という地域のためになるように頭を悩ませ、あちらこちら奔走する日々を送っている。
林川さんがまちづくりにかける強い気持ちの底には、じつは大船田園都市計画が響いている。ここ大船は日本ではじめての田園都市計画があった街。残念ながら途中で頓挫してしまったが、大船には碁盤の目の街並みに代表される「遺産」が今でも残っている。この過去の遺産を生かし、未来の世代へ引き継いでいきたい、と林川さん。
「砂押川沿いのプロムナードを駅前まで延ばし、散歩を楽しめるような道にしたい」「仲通りの方面と笠間口の方面がスムーズにつながるような歩行者動線を作り、大船駅前の商業活性化に寄与したい」「多くの人に活用してもらえるような緑あふれる空間を作りたい」などなど......。林川さんは、住みやすいまちづくりのために考えている、いろいろなアイディアを聞かせてくださった。今日もきっと、あちこちを飛び回っていることだろう。
大正期に試みられた「田園都市計画」が、ここでも後代に生きる人に熱を伝え、共鳴を生み出しているのを知り、ひそかに胸が熱くなった取材だった。
(細)
◎『大船ヨイマチ新聞』創刊号には、大船ッ子が街の「小さな歴史」を振り返る「大座談会」を掲載しています。また、創刊準備第2号では、大船田園都市計画についても簡単に触れた記事が掲載されています。本紙もお手にとっていただければ幸いです。
◎皆さまからの大船の「小さな歴史」情報もお聞かせください!
お問い合わせ、あるいは情報をお寄せいただくさいには、
Twitter @Ofuna_Yoimachi
Facebook facebook.com/groups/ofuna.yoimachi/
Email ofuna.yoimachi@gmail.com
まで、お願いいたします!