「小さな歴史を"聞く"」と題しているにもかかわらず、耳で聞いた話ではなくて、資料を調べたものが続いて恐縮だが、今しばらくおつきあい願いたい。
大船田園都市株式会社の実質的な事業を担ったのは、渡辺銀行の経営者一族でもまだ30代半ばという若さの渡辺六郎氏だった。この渡辺六郎こそが、大船に「美しさ」をもたらした当の人だったのではないかと私は思っている。
渡辺六郎は1887(明治20)年の生まれ。終生、芸術を愛した人物であったそうだ。自ら画を描き、写真をものし、俳句を詠みもした。元来、そういった感性を持っていた六郎氏は、銀行の方も父親から任されてはいたが、どうやら銀行の仕事はあまり気の進むものではなかったらしい。他方で、都市計画の事業にはのめり込み、その美的センスを個人の趣味にとどめることなく、まちづくりの上でもおおいに発揮したのである。
六郎氏が大船田園都市計画にそそいだ情熱には、並々ならぬものがあった。「採算度外視」とまでは行かないにしても、それでも計画の内実を調べるほどに、「もうけよう」というよりは「理想郷を作り出そう」という熱意の方がつよく感じられてくる。夢物語のように構想が膨らんでいったのには、彼の持ち前の美的感覚にくわえて、欧米での遊学のさいに自身の眼で味わった街の美しさへの感動があったように思えてならない。
六郎氏は1911(明治44)年に東京帝大を卒業したあと、翌年から2年間にわたり、欧米へ遊学している。この洋行で、日本とはまったく違う街並みの「美しさ」に驚いたのではないだろうか。
世界初の田園都市、イギリスのレッチワース。住宅街の街並み、2011年、クリストファー・ヒルトン氏撮影
(http://www.geograph.org.uk/photo/2463734)
写真・画像の無断転載禁止
レッチワースの駅周辺の風景 撮影年不肖、JR・ジェイムス氏所蔵
(https://www.flickr.com/photos/jrjamesarchive/albums/72157634784825145)
写真・画像の無断転載禁止