連載第2回となる今回は「美しさ」について探ってみたい。
大船の「美しさ」を知ったのは、第1回にも登場していただいた大船家具の関邦子さんからだ。関さんに話を伺うまで、私にとって大船の最大の魅力は、なんといってもその猥雑なまでの多様性と、そこから来ると思われる寛容にあった。私は大船を「美しい」と見る眼をもっていなかったのだ。
関さんを通して見るかつての大船には、品があり、知性があり、落ち着きがあり、先進性があり、理想があり、優しさがあった。私はいつも夢中になって、お目にかかるたびにたくさんの話をきかせてもらう。
その中から、今回は「銀杏と桜」を糸口に「小さな歴史」を記していこうと思う。秋に真っ黄色に通りを染めた松竹通りの銀杏並木。砂押川沿いから続いて松竹の撮影所内に爛漫と薄紅の花びらをたたえた1200本もの桜の木。花の季節にも、初夏にも、そしてもちろん紅葉の季節にも、一帯はそれはそれは美しかったそうだ。
国土地理院のデータをもとに筆者が作成
黄色の線が銀杏並木、水色の線が砂押川、ピンクの線が桜並木、緑で色づけしたところが松竹大船撮影所があったところ。構内には桜がたくさん植えられていた。
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関さんは子供ながらに
「松竹から見て北はピンク、西は黄色にしてあるのだな」と感心したという。
(じっさいには、松竹がそのように配したわけではないのだが)
どちらも今に残るのは、往時とは比べものにならないわずかな本数となってしまったが、当時を過ごした人の記憶には、きっとこの黄色とピンクがあることだろう。
人のもつ記憶というのはただのデータではない。「何年何月に、どこそこに、何という名前のものがあった」記憶はそういうものではないのだ(もちろん、記憶の「共通言語」としてデータはとても重要である)。記憶には、手触りも、あこがれも、興奮もある。こうした「感性のことば」を聞けることこそが喜びであり、読んだ方にもそれが伝われば、うれしい。