旅館へは砂押川にかかる橋を渡っていった。ちょうど今の駐輪場のあるところに、木造の橋がかかっていた。橋のたもとには柳の木が枝を揺らしていていた。
たいそう風情があったそうだ。
木造の橋と関さん姉妹。左奥が大佛旅館を囲む鬱蒼とした森。川と道との間には柵もなにもなかった。(昭和30年代後半・大船家具所蔵)
上の写真では、木でできた橋の様子がよく分かる。砂押川の川面も見ることができる。下の、少し距離を取った写真では、旅館を取り囲んでいた森の鬱蒼としたさまが伝わってくる。よく見ると、なるほど橋の手前に----ちょうどリヤカーを引く男性の後ろ姿の左手辺り----色の明るい木が一本ある。これが件の柳の木だろう。
(2017年12月筆者撮影)
ここでも、現在の様子を似たアングルになるよう撮影してみた。橋のかかっていた部分が、昔同様に地面が高くなっていることなどから、駐輪場と駐輪場の間----「オー!プラッザ」へ渡るときの橋だった同じ場所に、大佛旅館へ渡る木造の橋があったことが分かる。前掲の国土地理院が保存している航空写真と照らし合わせても、この位置で間違いなさそうだ。
関さんからは、この橋のたもとで行われていたロケを目撃した話も聞かせていただいた。ロケには、「コント55号」として人気を博していた若いころの萩本欽一さんと、「黒猫のタンゴ」(1969年10月発売)がヒットしたころの皆川おさむさんがいらしていたそうだ。現在、ビジネスホテル「相鉄フレッサイン」があるところの前の道路で----ということはすなわち、大佛旅館へ渡る橋の手前の道路で----、現ホテル側にあったガードレールに萩本欽一さんが座っていた。柳の木の下には小さな屋台がセットで組まれていたという。
この情報を耳にして、私は、もしかしてフィルムに映る大佛旅館の姿が見られるのではないか、と興奮気味に調査に取りかかった。結果、野村芳太郎監督が撮った『こちら55号 応答せよ!危機百発』というコメディ作品が浮上してきた。1970年公開作品なので、撮影はその前年か前々年だろう。時期もちょうどだ。
早速、DVDを取り寄せて何度か鑑賞してみたのだが...。私がじっさいの映像記憶を持たないためか、力及ばず、それらしきシーンを見つけることはかなわなかった。もしかしてカットになったのかもしれない。無念である。
とはいえ、この一件から大きなヒントをもらった。松竹の撮影所があった大船は、街の人たちの数々の証言からも明らかなように、街頭でしょっちゅうロケが行われていた。つまり、映画やドラマのなかに当時の街の姿がとどめられている可能性が高いのである。今後、過去を探る手立てのひとつとしたい。