じっさいには、大佛旅館はどんな旅館だったのだろうか。当時を直接知る人に話を聞いてみることにした。
大佛旅館のあった場所にほど近い三日月街区※に、創業63年の家具店「大船家具」がある。この場所で生まれ育った2代目・関邦子さんにお話を伺った。こちらのお店から大佛旅館に調度品を納めていたこともあるという。
「空中写真データ」(国土地理院) 撮影年月日 1963 (昭和38) 年7月8日
(URL http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=422017)をもとに筆者が作成
関さんは
「私も子供だったから、そんなに覚えてはいないのだけれど」
と言いながらも、記憶を語ってくれた。
※三日月街区(みかづきがいく)とは、砂押川と道路とに挟まれて、文字通り三日月のような形に建物が並ぶ一区画のこと。
Google Mapより。柏尾川の支流、砂押川を青くマークした。黄色で囲んだ部分が三日月街区。オレンジ色で囲んだあたりに大佛旅館の建物があった。旅館の森はその周囲を広く取り囲んでいた。緑で囲んでいるのが川に「ふた」をして作ってある駐輪場。紫色で囲んだのが少し前まで橋として使われていた場所。
大佛旅館は、駅前という立地の割に、建物自体は比較的小さかったという。お客さんのプライバシーのためか、旅情を狙ったものか、広く鬱蒼とした森に囲まれていた。竹林もあり、建物は木造平屋。旅館というより、まるで料亭のようだったそうだ。
関さんから、お父様・関道雄さんが撮影された写真を提供していただいた。残念ながら旅館そのものを写したものはないのだが、周囲の様子が分かるものが何枚かある。大船は水害が多かったこともあって、当時の街の景色を見られる写真は貴重だ。たびたび床上浸水の被害があったため、写真も水でやられてしまったという話をよく耳にする。
1枚目は、大佛旅館の看板が写っているもの。「大船家具」の正面から、「大船幼稚園」(現在「大船一丁目やきとん」「YOKOHAMAYA」などが入る片岡ビル)方面をとらえている。ふたつ並んだ左の看板に「大佛旅館」とあるのが読めるだろうか。
(昭和30年代・大船家具所蔵)
(2017年12月筆者撮影)
現在の様子を似たアングルになるよう撮影してみた。三日月を形作るカーブは現在も残っている。これは、かつてこの場所をバスの発着所として、Uターンができるよう道幅を広く取った名残りのようだ。