この日はあいにくの雨であった。例年ならば晴れの多い秋も深まりつつある10月の終わり。しかしこの年の列島は連日秋雨前線に見舞われ、さらには季節はずれの台風までもが押し寄せ、夜半には関東を通過する予報らしい。
待ち合わせ場所の大船駅へ午前11時、集まったのは以下のメンバーである。
宮田珠己さん このたびお誘いをくださった旅の作家。ドンツキ協会については以前から聞き知っているが、ドンツキの何が良いのかは分からない、という常識的なスタンス。
村田あやこさん 路上園芸学会。ドンツキ初体験、ということでご本人のご希望によりご帯同いただくことに。
木村吉見 ドンツキ協会理事。普段はフリーのグラフィックデザイナー。
ヤスシコーチ 同理事、芸人歴もあるというナゾの会社員。名の由来は週末サッカーコーチをしているから。
で、私、齋藤佳 ドンツキ協会会長、普段は環境デザイナー、の併せて5名である。
一行はまずは大船からひと駅、富士見町駅にて下車。大船駅からも歩いて行ける距離にあるためか、駅前繁華街の延長の雰囲気がありつつ、JR横須賀線をまたぐ跨線橋工事が進行中で、見渡せば無秩序に戸建てやマンションなど住宅も建ち、遠方に目を転じれば、大工場のまとまった敷地も散見される。住宅地なのか産業の町なのか判然としない、いわばアイデンティティの見いだしにくい界隈、というのが富士見町駅の第一印象であった。
そんな雑然としたまちなかで最初に出会ったドンツキこそ、前話の冒頭のやりとり、いわばドンツキの品評会が行われていた場所であった。
ドンツキを前に品評会がおこなわれる。「鉄道ドンツキだ」「いや、蜃気楼型でもある」
このドンツキは先に述べられた他にも、もともと用水路であったのが暗渠化したことで生じた道であったことも判明。結局ひとことで言い表すことが難しい代わりに無数の鑑賞ポイントが存在することとなり、ならば「数え役満ドンツキ」と命名しよう、ということとなった。
ドンツキの多くは名も無き小径であることがほとんどである。当協会は、ドンツキ研究の第一歩として、まず「ドンツキに名前を付けよう」ということから始まった。このように名前が付くことによってそのドンツキにいわば個性が与えられ改めて研究の対象に、そしてその存在を世に知らしめることができるのである。
もっとも、私どもが命名したからといって、
「オレんちの前の道って数え役満型なんだぜ」
と自慢になるはずがなく、
「奇遇だな。オレんちはダイサンゲン型だよ」
などと体よく切り返してくれる友人は未来永劫、現れないに違いない。
珍しいドンツキに住むことをこっそりと誇りに思っていただければよい。それが私どもドンツキ協会の願いである。