はじめに
8年ほど前に、縁あって都内から大船に移り住んだ。
すぐに分かった。この街は人々に好かれている。大船は生え抜きの人も多いが、よそから来た人も多い。そのどちらもが大船愛を抱いていた。私もそう長く経たないうちに、「気取らず、飾らず」のこの街が大好きになった。
私が大船に愛着を感じられるようになったのはなぜだったろう。
理由はいくつも考えられるが、そのひとつには、昔の話をいろいろと聞けたことがあると思う。記事を書くようになって図書館で資料に当たったこともあるが、なにより酒場で、店先で、ご近所で、人々の口から直接語られる歴史が私と街とを親密にしてくれた。
この連載では、大船生まれ、大船育ちの人なら知っていそうな昔のこと----そうした「小さな歴史」を紹介していきたい。読んだ方にも、前より大船のことを好きになってもらえたら嬉しい。
第1回 大佛旅館
2017年4月に、大船駅笠間口近くにあった商業ビル「Oh! Plaza (オー!プラッザ)」が閉店した。2017年12月現在、建物は取り壊され、マンションの建設予定地として工事が進められている。
この建物は「ニチイ」大船店として1976(昭和51)年に開店。その後「サティ」として営業した後、家電量販店「ヤマダ電機」やスーパーマーケット「ライフ」などが入った商業施設「オー!プラッザ」となっていた。つまり、40年以上この地に建っていたビルが姿を消すことになる。
「ニチイ」のそのまた前はどうなっていたのか。大船で生まれ育った人なら年上の人から聞いたことがあるかもしれない。ここには「大佛旅館(おさらぎりょかん)」という旅館があった。
私が大佛旅館のことを最初に知ったのは、2年程前。大船駅前で50年以上の歴史を持つ活魚料理店「観音食堂」の武井福太郎さんに取材したときのことだった。
福太郎さんは驚異的な記憶力の持ち主で「昭和何年にあそこには何ができた」「昭和何年に何になる前にはそこには何があった」など、すべて年号つきで街の歴史を教えてくれた。私はその取材のときに、昭和34年版の詳細地図(この地域のものとしてその時に手に入れられるなかで一番古い詳細地図)から、大船駅を中心とした地域一帯のコピーを取って持参していた。
福太郎さんが次々にそらんじる情報を書きとどめるのに必死になりながら、
「あ、駅前には旅館があったんですね。『大船旅館(おおふなりょかん)』ですか?」と詳細地図を指さして私が尋ねると、
「『おさらぎりょかん』だろ?『おおふなりょかん』じゃないよ」と福太郎さんにすぐに訂正された。
慌てて地図を見直すが、やはり地図には「大船旅館」と書いてある。
だが福太郎さんは、
「そりゃ、地図のほうが間違えてるんだ。『大佛』だよ」ときっぱりと言った。
それまで書物とばかりつきあってきた私は、おおいに反省した。いくらしっかりしていそうに思えても地図のほうが間違っているということがあるんだ、じっさいに自分の身をおいて時間を過ごした人の記憶にかなうものはないのかもしれない。内容としては素朴な驚きだが、自分にとっては決定的な意味を持った。資料だけ調べていてはだめだ。街の人たちにどんどん話を聞こう。そう心に決めて半年もたたぬうち、福太郎さんが亡くなられたと聞いた。
右も左もわからないまま大船のフリーペーパーを作る活動を始めたばかりのころの、強く印象に残っている出来事である。
そんなことがあったので、2017年3月ごろに、この駅前のビル「オー!プラッザ」が閉館・取り壊しになると知ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが大佛旅館のことだった。