最後の1枚。これは、大船駅でないことはわかっている。なぜなら、レールの先に「深沢テレビ商会」という電器屋さんが写り込んでいるからだ。
おそらくここは、湘南深沢駅だろう。大船からモノレールに乗って現地に向かう。
深沢駅に降り立ち、昔の写真と見比べつつあたりを見回してみる。
現在、深沢駅のレールの下は歩道になっており、用水路らしきものはない。
しかし、よく見てみると、昔の写真のモノレールの橋脚についている「深溝12」の番号が、今の橋脚にもついている。この番号は、橋脚ひとつづつに付けられた固有の番号だ。
この番号は、当時も今も変わってないはずなので、やはりここが古い写真のそのままの場所ということになる。
用水路は、現在蓋がされ、歩道として整備されて暗渠となっているようだ。
昔の写真をみると、道路の左側は、建物があまり建ってない。しかし現在は、小さなアパートや商店、住宅などがみっしり建て込んでいる。そして右側は、歩道を挟んでだだっ広い空き地である。
モノレールのレールの向こうに見えていた商店はどうか?
これは、営業をとりやめているようだ。
入り口とおぼしき扉には、やはり閉店のお知らせの張り紙があった。それによると、今年(2017年)の3月まで営業していたらしい。
この建物は、二階の窓の目の前をモノレールが走る絶好のロケーションだが、今は人が住んでいるような気配はない。
壁にうっすら残る「TOSHIBA」のローマ字に、ぼくはうら寂しさよりも、長年戦いつづけた戦士の勲章のような雰囲気をかんじとった。
まわりを探すと、当時と同じ店舗はあまりないのだが、左側に写っている花屋さんは、同じ位置でまだ営業を続けていた。
当時とまったく変わらない位置で営業を続けている「花六」の小宮さんに話を聞いてみた。
小宮さんは、今から約50年ほどまえに、この場所に引っ越してきて、花屋さんを始めた。もちろん、モノレールが開通する前だ。
小宮さん「モノレールができるまえはね、目の前は写真のとおり空き地で、ホタルなんかが飛んでるぐらいの場所だったね」
―ホタルですか、今は?
小宮さん「いやいや、いまはいないね、この店の前なんかも用水路だったんだけど、随分前に歩道になっちゃってね」
―このあたりは暗渠になってる用水路が多いですよね。モノレールの駅の横のだだっ広い空き地。あそこは昔からあのままですか?
小宮さん「あそこはね、国鉄の職員住宅だったんだよ、モノレールの駅ができてから、四階建ての団地ができて、しばらくあったけど、ちょっと前に壊しちゃったね」」
―だから看板に「JR東日本」って書いてあったんですね。モノレールができた当時ってどうでした? みんなで乗りに行ったりとかしました?
小宮さん「いやー、覚えてないなあ......ただね、こういった乗り物は珍しいから、親戚の子供がきたときは喜んでたねえ。湘南までモノレールで乗って帰ってきたりして」
―懸垂式モノレールの路線は、世界でも珍しいですからね。お子さんのはしゃぎぶりが目に浮かびます。
小学生のころ、親戚のうちのすぐ横にこんなモノレールが走ってたら、腰抜かして失禁するぐらいうれしかったのは確実だ。なぜなら今でもけっこう楽しいから......。
―大人の期待感はどんな感じでした?
小宮さん「大人は特にはしゃぐことなんかはなかったよ、特にこのあたりはあそこに駅(湘南深沢駅)ができるっていうから、反対する人もいなかったしね。でも、『モノレールなんかできても乗らないよ!』なんていうひとも中にはいたけど、まあできればできたで、なんだかんだで乗ってたね」
実際、小宮さんは、病院への通院でいまでもよく利用しているそうだ。
しかしながら、大船の高木さんのように、自分で車を運転できるひとは、やはりあまり乗ることがないというのは、その通りらしい。
変わるもの、変わらないもの
40年で、モノレール駅周辺は、目がまわるような大きな変化がおきたが、当時もいまも変わらないのは、まさにモノレールそのものだった。
バージニア・リー・バートンの絵本に「ちいさいおうち」というものがある。
のどかな田舎にあった"ちいさいおうち"のまわりに、家が建ち、ビルが立ち、やがて都会になっていくけれど、ちいさいおうちだけは、昔のまま建っている。
まさに、湘南モノレールは、これを地で行っている。ここでは、おうちがそのまま湘南モノレールといってもよい。
ただ、これほどの変化を招いたのは、ほかならないそのモノレール自身なのかもしれない。
モノレールがあるからこそ、街が発展し、目まぐるしくその姿をかえることになった。
いいとかわるいとかではなく、街は発展し、世の中は進んでいく。
そういうことである。