ここで、高木さんの記憶を呼び覚ますため、話題をかえてみた。
―ところで、この建物は、隣の店舗とひとつになってますね。
高木さん「そう、建物自体はうちの持ち物なんだよ、隣の店は貸してるんだよね」
「喜良久」の入っているこの建物は、長屋のようになっており、開業当時の写真にはハンコ屋、ゴルフ店、釣具屋などが写り込んでいる。
高木さん「ゴルフ店なんかはね、当時ものすごいブームで、そうとう売上もあったらしいけれど、ブームが過ぎ去ったらすぐに店たたんでね、喫茶店に変えちゃって、それは今でもやってるけど、今日は閉まってるかな」
―ハンコ屋さんや釣具屋さんはどうなったんですか?
高木さん「どっちも飲食店に業種変えたね。経営してるひとも何人か代わってますね」
飲食店の強さ、というものを感じる。
「食べる」という人としての根本的な部分に関わる業種というのは、食べ物個別のはやりすたりがあるとはいえ、飲食店という商売じたいがなくなるということはないのだ。
―(カラー写真を見せて)左側に、かなり目立つビルが写ってますが、これは何のビルですか?
高木さん「あぁ、これは、湘南家具センターだね。ちょうどこの向かい、今パチンコ屋になっているビルあるけれど、それが家具センターのビルだったな」
カラー写真の古写真に写っているビル、これは家具屋さんのビルであった。
―ニトリとかIKEAみたいな感じの家具屋さんが駅前にあったんですね。
高木さん「そうそう、ちょうどそんな感じでね、何年前かな? ずいぶん前にパチンコ屋に変わって、そのパチンコ屋も潰れて、今またあたらしいパチンコ屋が入る工事しているね」
諸行無常である。
ただ、そのなかで唯一、この中華料理屋さんだけはまだ営業を続けている。
高木さん「そろそろ店じまいしないとなぁって思ってるの、もう70だからさ」
―そうですか......モノレールが営業開始した当時から残っているのに、なんだかもったいないきがします。
高木さんのこのお店は、もともと割烹料理店で、米軍の軍人などがよく利用していたらしい。
高木さん「うちの店をよく使っていた客に、米軍の上級将校と結婚した日本人女性がいてね、そういう人たちは結婚してアメリカに渡るのよ、で、たまに手紙なんかもらうから、近所の友達誘って一緒にアメリカ行こうって、アメリカ旅行して会いに行ったことがあったねえ」
アメリカの軍人と結婚したお客さんに会いに行くってなんか、ロードムービーみたいな話だ。
―米軍にまつわる話がよく出ますねえ。
高木さん「昔はね、横須賀の米軍の軍人さんが、モノレールでもってこっちの方(大船)までくることもあったけれど、最近はあんまりないねえ」
―観光に米軍人がきてたんですね。
高木さん「そもそも、うちの親父は米軍基地で消防士やってたんだよ」
―えっ、そうなんですか!
高木さん「そう、店自体は母親がやってて、親父は横浜にあった米軍基地に勤務してたんだよ」
高木さんの身の上話は面白いのだが、すっかり話が湘南モノレールから脱線してしまっている。
とりあえず、湘南モノレールから貰った写真を見てもらって、この近くかどうかを見てもらおう。
―ところで、こちらの写真(カラー写真)の場所ってこの道を少し行った場所であってますかね?
高木さん「あぁ、そうそう、これは橋になってるよね、ちょっと先に橋があるから、そのへんだね」
礼を述べて、高木さんの示した場所に行ってみる。
ここだ。
建物はそう取っ替えの上、このころ見えていた大船観音はもう見られない。モノレールがないと、月とスッポンぐらいの差がある。
目立っていた家具センターのビルは建て替えられてパチンコ屋に、橋の右側にある自動車修理工場はレンタカー店に、写真右端に写っている非常階段のあるビルは今でも建っているけれど、色が黄色くなっている。
この黄色くなったビルの昔の写真をよく見ると、屋上に提灯が吊り下げてある。
ビアガーデンだろうか? 手前のバイクに乗っている男性が半袖だということを考えると、おそらく間違いないだろう。
ビアガーデン。ビールという洋酒を提供するのが売りのサービスなのに、なぜか提灯という、ど和風なテイストの装飾が必ずセットである。
ビールが完全に日本文化に取り込まれている感はある。
このビルは、スナックなどの飲食店が多数入る雑居ビルで、昔は近くを流れる梅田川の名前をとって「梅田ビル」と呼ばれていたらしい。
このビルも、近々建て替えるという話がある。と、先ほどの中華料理店の高木さんに教えてもらった。