身近にあるのに、あまりに身近すぎるせいか目に入ってこなかったもの。ふとした瞬間その存在を意識しはじめると、周りの世界が違って見えることがある。
「路上園芸」は私にとってそんな存在だ。
「路上園芸」とはずばり、路上で営まれる園芸活動のことである。民家の軒先...時には公共の植え込みにまで堂々とはみ出して植木鉢が並ぶ光景、見たことあるって人も多いのではないだろうか。植木鉢のみならず、家の周りに植えられた庭木や、植木鉢から逃げ出してその辺で生えている植物など、路上における植物の生き様は悲喜こもごもである。
いつからかそんな、路上で自発的に営まれる園芸や、路上が勝手に育んでしまった園芸を、大雑把に「路上園芸」と総称して鑑賞するようになった。
中でも好きなのは、植物の生命力が勢いづくあまり、鉢をはみ出して逃亡したり、へんてこりんな形に成長したり、もじゃもじゃと家屋やあたりの敷地に覆いかぶさっちゃっているやつだ。
例えばこういうの。
植木鉢から大木化(撮影地:東京、2016年)
植木鉢から伸びに伸びて二階部分まで覆い尽くす植物。鉢の中は実は四次元空間なのではと疑ってしまうほどの成長っぷりである。
壁の向こうに何かいる...(撮影地:東京、2016年)
いきすぎるともはや植物ではなく別の生命体にすら見えてくる。こういうのを「植物のふりした妖怪」と名付け、勝手におののいている。
一見整然と管理されているように見える街の中で、植物が人目をかいくぐってふと見せる野生の表情には、たくましさと同時に哀愁とおかしみが漂う。それを感じると、ありふれた風景が一味違って見えてくるのである。
路上園芸の魅力の一つは、どんな街でも鑑賞できることだ。これまであまり馴染みのなかった湘南モノレール沿線駅を、いい路上園芸を探し求めて徘徊してみた。ほぼ徒歩で。(つづく)