大船を訪ねる前に湘南モノレールに乗ってみたくて、「湘南江ノ島」駅から乗車した。
モノレールは浜松町・羽田間を結ぶ東京モノレールのような、一本レールを車両がまたぐ「跨座式」と、そこにぶら下がる「懸垂式」があり、湘南モノレールは懸垂式。ホームは駅ビルの高いところにあり、逆台形に下が細いスマートな車両は、男の子が喜びそうだ。
やがて発車。普通電車とちがい車両は宙に浮いてロープウェイのようでもある。地上高く景色を見下ろして走るのはなんとなく大らかな気分にさせる。揺れは電車と変わらず、座らずに立つ人もいる。
しばらく走るうちに、江ノ島=大船間は、山間の高低差がはげしく連続し、眼下の車の走る道路はくねくね曲がった急激なアップダウンばかりで、この地面にレールを敷くのは到底無理。したがって、軌道を支える柱の高さを変えるだけで水平運行ができるモノレールこそ可能にしたのだとわかった。また空中を走るので、踏切りや地下道などの地上交通に全く影響ない。遠くから見る空に延びる軌道はきっとわが道を行くマイウエイだろう。
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大船に来たのはずばり「居酒屋探訪」だ。日本中の居酒屋を飲み歩くのをライフワークとするバカな私は、その町の特徴は居酒屋に表われるが持論。さて大船は----
モノレールとJRが並ぶ大きな駅を適当に東口に降りたすぐ前は駅前広場もなく、いきなり横長に何百メートルも飲み屋やパチンコ屋がえんえんと続く。友人から大船の居酒屋なら「鳥恵」と聞いてきて、その地図もあるが、絶望的方向音痴の私はひるんだ。
しかし歩かねば始まらない。中の商店街は居酒屋や食堂、ワインバー、イタリア酒場などが縦にも横にも頭上にも詰まる大居酒屋地帯。探すこと二〇分。今どこにいるかもわからなくなり立ち尽くすと、ちょうど建物から男の人が出て来た。
「あのうすみません、鳥恵に行きたいんですが」
「ああ、鳥恵ね」
知ってる。大船では有名なんだ。ここは全然見当違いで、「この道をずっと真っすぐ」と指さし、「向こうの八百屋の先、大きな酒屋を右」と教えてくれた。
やれうれしや、有り難うございますと足早に行くと二〇数人の行列が。
「あのうこれは鳥恵の列ですか?」
「そうです」
人気店なんだ。店の入口はまことに目立たないが、隣は大きな「鶏肉専門店 鳥恵」で活気がある。五時になり順番に入店。「何名様?」「六人」「じゃ奥へ」とやりとりあり、一人の私は入ったすぐの長いカウンター席に案内された。
へえ、こういう店か。初めての店は興味がわくけれど、二〇数人がいっせいに注文するのに出遅れてはならじ。客は皆常連らしく「ご入店順に注文うかがいます」と言う店員に「あれとあれとあれ、これは二人前一緒盛り、焼酎芋お湯割り、こっちはウーロン茶」とすらすらよどみなく、「オレは最初はいつもこれ」と決めているらしい高年男は七つもある納豆料理から選んだ〈納豆キムチ〉をエイヤとかき混ぜている。
焦る気持ちで見上げた正面の黒板は、〈まぐろ中トロ・赤身〉を筆頭に〈活〉として〈イサキ・しまあじ・かんぱち・平目・真ダイ〉など刺身。〈活〉は注文を受けてから魚を捌く。続いて〈太刀魚あぶり・新サンマ・真イワシ・沖ボラ・しらうお・キビナゴ・甘海老・真ダコ〉刺身。さらに下には〈あなご天・キス天・ハゼ天・メゴチ天〉など天ぷらもたっぷりで、これはレベルの高い店だと座り直す(その必要ないですが)。
「鳥恵」の黒板
私は鯵に目がない大の「鯵っ食い」。魚と貝の刺身組み合わせは注文定番だ。
「あじ活造りとタイラ貝」
「すみませんタイラ貝終わりました」
ええ! まだ開店して五分だよ。ここの客はよく知ってるな、これはイカン。
「じゃ赤貝、それと酒、白露垂珠」
酒好きの私は入るなり〈山形県 白露垂珠66無濾過純米ひやおろし 1ぱい790円〉の貼紙を見ていた。「あと中生」と頼んだビールをぐーっと飲み干し、お通し小鉢の、つみれ・筍・椎茸・人参・隠元などの煮物に箸を。
男女大勢の店員はてきぱきと動き、髪をポニーテールにまとめた若い娘さんの胸の札「研修中」がいい。すでに満杯になったカウンターの私の隣は、母娘の女性二人連れ。「お待たせしました」と届いた、角皿に松の樹を飾った派手な盛りつけの〈あじ活造り〉はそちらもご一緒で、「同じですね」と笑い合う。さあこれには酒だ。一升瓶から注ぐ名酒「白露垂珠」は浅い塗り枡になみなみとあふれさす。
ツイー......
うまいのう、歯に沁みとおる白珠の......と一人満足していると隣の女性が「あのう、それおいしいですか」と声をかけてきた。ではとひとくち味見いただくと目を輝かし、「私もこれ」と手を上げた。
「鳥恵」の〈あじ活造り〉
今が時期の鯵はすっきりと力があってたいへん良く、これで680円は超安だ。名酒と名肴が並んだ。
お隣にタイラ貝が届き、「それ僕のときは終わってました」と余計なひと言に「どうぞどうぞ箸のばしてください」と恐縮され、かえって恐縮。「では私の赤貝と分け合いましょう」「ええそれと迷ったんです」に互いに苦笑。帆掛けに仕立てた鯵の中骨を揚げた骨せんべいに「これが楽しみで」とまた女性が笑う。お母さんもそっと白露垂珠を口にして「おいしいお酒ね」とうなずいている。御年八十一、戸塚から時々ここにお連れするそうだ。
〈あじ活造り〉の骨せんべい
老母と娘が一緒に来られる居酒屋は健全だ。カウンター端から左へ折れる角は焼鳥のガラスケースと煙を上げる焼き台。その奥は広い小上がり座敷で、昼ウォークを終えたらしい中年グループが愉快そうに飲んでいる。質高い魚、超良心値段、安心感あるサービス。これは行列するわけだ。焼鳥もおいしく、「大船の居酒屋なら、まず鳥恵」はその通りだった。(つづく)
「鳥恵」の小上がり座敷